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歴史
近代オリンピックの創立者であるピエール・ド・クーベルタン男爵、FIFAワールドカップの実現に尽力したジュール・リメ、ヨーロッパカップの提唱者ガブリエル・アノに続き、1950年代、一人のフランス人が新たなスポーツイベントを誕生させようとしていた。その男性はUEFAの第一秘書を務めたアンリ・ドロネーであり、彼が提唱したのが現在のユーロ(欧州選手権)である。残念なことに、当初は大部分の国がこの計画に反対し、ドロネーは大会実現を前に他界した。しかし息子のピエールがそのアイディアを継承し、1958年には第一回大会に関する要項が発表された。しかし西ドイツ、イングランド、スコットランド、スイス、ベルギー、オランダはこの計画に反対。イタリアも大会への不参加を決めた。最終的には17カ国が大会に参加することとなり、予備予選としてまずチェコスロバキアとアイルランドの試合がホームアンドアウェー方式で行われた。ダブリンのデイリーマウント・パークで行われた第1戦ではアイルランドが2-0でチェコスロバキアに快勝。しかし、続く第2戦ではチェコスロバキアが4-0の大差でアイルランドを倒し、予選1回戦へと進んだ。
1960年フランス大会
ソ連が初代王者に
わずか16チームでのノックアウト方式による大会ではあったが、第1回欧州ネイションズカップの初戦、ソ連対ハンガリーは、そのわずか2年前にハンガリー動乱が勃発したことなどもあり、多くの政治的要素を含むものとなった。1958年9月28日、ルジニキ・スタジアムに詰めかけた10万人代表の勢いはすでになかった。その後の第2戦でもソ連代表のボイノフがゴールを決めてソ連は準々決勝への進出を決めた。その他にはルーマニア、チェコスロバキア、フランス(ギリシャにトータルスコア8-2で圧勝)、オーストリア、ポルトガル、ユーゴスラビア、スペインが準々決勝へ勝ち進んだ。なかでもアルフレッド・ディ・ステファノやラディスラオ・クバラ、ルイス・スアレスといったそうそうたるメンバーを抱えるスペイン代表は注目を集めたが、当時スペイン国内で権力を握っていた独裁者、フランシスコ・フランコがスペインサッカー連盟に棄権するよう圧力をかけ、そのためソ連は不戦勝で最終トーナメントへと進んだ。
準々決勝ではフランスがオーストリアに勝利。1958年ワールドカップの得点王にもなったジュスト・フォンテーヌがハットトリックを決め、さらにジーン・ヴィンセントが2点を追加。第2戦でもフランスが4-2で勝利を収め、7月6日から10日までマルセイユとパリで開かれる最終トーナメントへの出場が決定した。その他にはソ連、ユーゴスラビア(ポルトガルにトータルスコア6-3で勝利)、チェコスロバキア(ルーマニアにトータルスコア5-0で勝利)が準決勝へと進出した。
パリのパルク・デ・プランスで開催されたフランス対ユーゴスラビア戦は前代未聞の試合展開となった。62分の時点でフランスが4-2でリードしていたが、その後の4分間でユーゴスラビアが3点を追加(75分にクネツ、77分と78分にイェルコヴィッチ)して劇的な逆転勝利を決める。マルセイユではソ連対チェコスロバキアの試合が行われ、ソ連代表のイワノフが2点を決めるなどして3-0で完勝した。3位決定戦ではフランスがチェコスロバキアに2-0で破れた。
7月10日、パルク・デ・プランスを舞台に繰り広げられた決勝戦。ユーゴスラビアは有利に試合を展開するも黒蜘蛛のニックネームで知られるソ連のスーパーゴールキーパー、レフ・ヤシンにゴールを阻まれ続けた。しかし43分にはユーゴスラビア代表のガリッチが念願の先制点を決める。後半に入るとソ連代表のメトレヴェリが同点ゴールを決め、延長戦ではポネデルニクがヘディングシュートを決めて試合を逆転させた。こうしてソ連が初代王者となった。ちなみにこの決勝戦の観客数はわずか18000人だった。
ソビエト連邦代表メンバー: ヤシン、チェケレ、マスレンキン、クルチコフ、ボイノフ、ネットー、メトレベリ、イワノフ、ボネデルニク、ブブキン、メシキ
1964年スペイン大会
マルセリーノ、独裁者に優勝杯を献上
第1回大会の成功を受け、1964年スペイン大会への参加国は28に急増。しかし西ドイツは監督のSepp Herdbergerがワールドカップに照準を合わせたいと主張し、連盟はその意見を尊重して参加を見送った。大会方式は前回同様、予選ラウンド1回戦は13組によるノックアウト方式(ホームアンドアウェー)。オーストリア、ソ連、ルクセンブルクは2回戦からの出場となった。またアルバニアはギリシャとの間で不戦勝が決まり、早くも2回戦への進出が決定した。
1回戦での最も重要な試合はイングランドとフランスの対戦であった。第1戦は1-1で引き分けたが、第2戦ではフランス代表のウィスニウスキーとコッソーがそれぞれ2得点を挙げて5-2と大勝。またスペイン、北アイルランド、アイルランド、ブルガリア(エウセビオ率いるポルトガルとのプレーオフで勝利)、東ドイツ、ハンガリー、デンマーク、オランダ、スウェーデン、ユーゴスラビア、イタリアも2回戦へと勝ち進んだ。
上位16チームによるノックアウトラウンドは1963年5月から11月までの期間に行われた。中でも最も大きな番狂わせとなったのが10月30日にロッテルダムで行われたルクセンブルクとオランダの対決である。オランダはピーター・クライファーが1点を入れたものの、ルクセンブルク代表のCamille Dimmerが2ゴールを挙げ、強豪チームを敗退させるという快挙を成し遂げた。ソ連はボネデルニクとチスレンコがゴールを決めて2-0でイタリアに快勝(イタリアのPascuttiは途中退場となった)。ローマで行われた第2戦でも、イタリア代表のマッツォーラが貴重なペナルティーキックのチャンスを逃すと、ソ連代表のRiveraが貴重な同点ゴールを挙げ、ソ連の準々決勝進出が決まった。その他、スペイン、フランス、アイルランド、ハンガリー、デンマーク、スウェーデンが準々決勝へ駒を進める。
ここまで勝ち上がってきたルクセンブルクは、準々決勝でデンマークと対戦。勝負の行方をアムステルダムでのプレーオフまで持ち込んだが、今大会の得点王となったデンマークのOle Madsenに1点を入れられ、決勝大会を目前に敗退することとなった。決勝大会へ進んだ他のチームはスペイン(アイルランドにトータルスコア7-1で勝利)、ハンガリー、ソ連である。
決勝トーナメントはマドリードとバルセロナを舞台に行われた。スペインはハンガリーを相手に苦戦するが、35分にはスアレスのアシストをペレーダが決めて先制。その後ハンガリーのベネが同点ゴールを決めて試合を元に戻すが、最後はスペインのアマンシオが2点目を決めてチームに勝利をもたらす。
決勝戦は準決勝でデンマークを3-0で破ったソ連とスペインの対決である。会場は10万人以上のサポーターで埋め尽くされたエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ。観客席にはスペインの独裁者、フランシスコ・フランコの姿もあった。先制点を決めたのは、スアレスからのパスをゴールへと流し込んだイタリア代表のベレーダ。しかしそのわずか2分後にはソビエト代表のフサイノフに同点ゴールを決められてしまう。試合終了の6分前、イタリア代表のマルセリーノが右からの黒酢に頭を合わせて、勝利の2点目をたたき出した。黒蜘蛛の異名を取るヤシンも、このゴールを防ぐことはできなかった。優勝杯はスペインの手へ。新聞社はこぞって「フランコの勝利」と書きたてた。
スペイン代表メンバー: イリバル、リビリャ、オリベリャ、カリェハ、ソコ、フステ、アマンシオ、ペレダ、マルセリーノ、スアレス、ラベトラ
1968年イタリア大会
二度の決勝戦で勝ち取った優勝
ユーロの提唱者ドロネーの夢は、第3回目となるこの大会でようやく実現することとなる。参加国は31カ国に増え、予選では初めて8つのグループによるホームアンドアウェーのリーグ形式が採用された(準々決勝はホームアンドアウェー方式によるノックアウトラウンド)。予選グループ1組ではチェコスロバキアが最終試合の対アイルランド戦を落とし、スペインが予選を突破。ブルガリアとソ連はそれぞれ10ポイントを挙げて予選を軽々と突破した。初出場となった西ドイツは不振にあえぎ、ユーゴスラビアは周囲の予想に反して準々決勝進出を決めた。予選グループ5組では東ドイツに勝利したハンガリーが1位となり、イタリアはスイスに1ポイントを許した以外は完璧な成績で予選を突破した。予選グループ7組ではフランスが最後までトップの座を守り、予選グループ8組からはイングランドが準々決勝進出を決めた。
準々決勝の対ブルガリア戦はイタリアにとって容易なものではなかった。その年の最優秀ストライカーの一人ともいわれたAsparuchovがブルガリア代表を牽引し、一方のイタリア代表はスタープレーヤのGigi Rivaを怪我で欠いていた(代替選手はプラティ)。第1戦は3-2でブルガリアが勝利、しかしナポリで開催された第2戦ではイタリアのプラティとドメンギーニがゴールを決め、2-0で完勝して決勝トーナメント進出を手にした。世界チャンピオンのイングランドはロンドンでの対スペイン戦で1-0(ボビー。チャールトンのゴール)、マドリードでの第2戦でも2-1と勝利し、スペインを下した。ユーゴスラビアはフランスに惨敗し(第2戦は1-5)、ハンガリーを相手に迎えたソ連は第1戦では2-0で完敗するものの、第2戦では3-0(Banishevsky、 Khurtsilava、Byshovets)と大勝し、決勝トーナメントへのチケットを手に入れた。
決勝トーナメントの会場は今回から3カ所となった(ローマ、フィレンツェ、ナポリ)。イタリアはソ連を前に苦戦を強いられる。スター選手のリーバは怪我のためいまだ出場することができず、リベラとベルセリーノも大会中に負傷。しかしソ連もまた思い通りのプレーができずにいた。イタリア代表のドメンギーニが延長戦後半に放ったシュートはゴールポストに当たり、結局0-0のまま試合は終了。抽選の結果(コイントス)により、イタリアの決勝進出が決まった。
決勝戦の相手はイングランドを1-0で破ったユーゴスラビアである。会場はローマのスタディオ・オリンピコ・ディ・ローマ。試合開始22分、ユーゴスラビアの若手ウィンガー、ドラガン・ジャイッチが先制点を決めると、試合終了10分前にイタリアのドメンギーニが1点を返して試合は同点となる。結局延長戦終了時点で1-1の同点だったため、2日後に再試合が行われることとなった。イタリア代表監督のフェルチオ・ヴァルカレツジはフォーメーションを刷新。怪我から復帰したリーバが11分に先制。31分にはアナスターシがだめ押しの2点目を決め、試合はイタリアの優勝で幕を閉じた。
イタリア代表メンバー: ディノ・ゾフ、ブルグニチ、ジャチント・ファッケッティ、サルバドーレ、ガルネッリ、ロサトー、マッツォーラ、アナスターシ、デ・システィ・ピッキオ、リーバ
1972年ベルギー大会
西ドイツが初優勝
前大会の方式が踏襲された1972年大会だったが、参加国の数は少し増加して32チームとなり、各8チームずつの4グループに分けられて予選ラウンドが行われた。この大会は試合中の選手交代が認められるようになって初めての大会でもある。
グループ1は最も熾烈な争いが繰り広げられたグループで、本戦進出チームを決定するルーマニア対チェコスロバキアの一戦で、ルーマニアが2-1でチェコスロバキアを倒し、得失点差で予選突破を決めた。グループ2ではハンガリーがブルガリアとフランスを退けて1位となる。1971年10月9日に行われた対フランス戦における2-0での勝利は、ハンガリーにとって歴史に残る勝利である。フランスは最後の対ブルガリア戦を勝利すれば、予選グループ1位で本戦に進出できるはずだったが、フランスは2-1でブルガリアに敗北。イングランドもグループ3で苦戦を強いられたが、最後にスイスが1-1で引き分けたことで本戦への切符を手にした。ソ連はグループ4を無敗で突破、ベルギーはリスボンでの最終戦でポルトガルに1-1と引き分け、本戦進出を決めた。イタリアは10ポイントを獲得して予選を突破したが、オーストリアはまたしても後少しのところで準々決勝進出がならなかった。残りの本戦進出2チームはユーゴスラビアと西ドイツである。西ドイツはワルシャワでの試合でポーランドを倒し、本戦進出を果たした。
準々決勝は素晴らしい試合結果が続出する、見所の多いものであった。西ドイツはイングランドを3-1で破り、ベルギーはヴァン・ムールやヴァン・イムストが活躍してイタリアに勝利。ハンガリーはプレーオフの結果、ルーマニアに勝って決勝トーナメントへと進んだ。一方で軽々と準々決勝突破を決めたのがソ連である。
ブリュッセルのコンスタン・ファン・デン・ストック(観客数は2000人以下だった)で行われた準決勝ではソ連がハンガリーに勝利。もう一つの西ドイツ対ベルギー戦は西ドイツ代表のゲルト・ミュラーが2ゴールを挙げ、チームに勝利をもたらした。3位決定戦に進んだベルギーは2-1でハンガリーに勝利。そして1972年6月18日に行われた決勝戦で、またしても西ドイツ代表のミュラーが2点を決め、3-0という完璧なスコアで西ドイツが初のユーロ優勝杯を手にした。ミュラーはこの大会の得点王でもある。
西ドイツ代表メンバー: ゼップ・マイヤー、ホルスト=ディーター・ヘットゲス、フランツ・ベッケンバウアー、ゲオルク・シュヴァルツェンベック、パウル・ブライトナー、ウリ・ヘーネス、ヘルベルト・ヴィマー、ギュンター・ネッツァー、ユップ・ハインケス、ゲルト・ミュラー、ヘルムト・クレマース
1976年ユーゴスラビア大会
PK合戦で決まった優勝
予選が始まった直後に西ドイツのワールドカップ優勝が決まったユーロ1976。ヘルムート・シェーン監督率いる西ドイツ代表は今大会でも優勝候補の筆頭に挙げられ、実際ギリシャ、ブルガリア、マルタとともにグループ8に属した予選では、安定した強さを見せて準々決勝へと難なく駒を進めた。グループ2を勝ち抜いたウェールズ、グループ3のユーゴスラビア以外はいずれのグループも接戦につぐ接戦であり、グループ5ではオランダが得失点差でポーランドを押さえて(イタリアともわずか1ポイント差)決勝トーナメント進出を決めた。グループ1からはチェコスロバキア、グループ4からはスペインがルーマニアやスコットランドを押さえて本戦に進み、ソビエトとベルギーも本戦参加のチケットを手に入れた。
準々決勝で最も重要な試合といわれたのがスペイン対西ドイツである。結果、ワールドカップでのタイトルを手にして勢いに乗る西ドイツが、第1戦を1-1の引き分け、第2戦を2-0の白星としてスペインを破った。ユーゴスラビアはベオグラードでの対ウェールズ戦第1戦を2-0と快勝し、続く第2戦は1-1と引き分けた。ワールドカップ準優勝チームのオランダはベルギーをトータルスコア6-2で倒し、チェコスロバキアはソ連を相手に2-0、2-2の1勝1引き分けで決勝大会へ進んだ。
準決勝の2戦はいずれも延長戦に突入し、チェコスロバキア対オランダの一戦では延長戦終了の5分前まで1-1のデッドヒートが続いたが、その後チェコスロバキアが2点を入れて決勝進出を決める。西ドイツとユーゴスラビアの一戦では今大会で代表デビューを果たしたディーター・ミュラーが驚異のハットトリックを樹立し、西ドイツが決勝へ進出した。3位決定戦ではオランダがユーゴスラビアに勝利。6月20日にスタディオン・ツルヴェナ・ズヴェズダで行われたチェコスロバキアと西ドイツの一戦は、まさに歴史に残る一試合となった。チェコスロバキアはシュヴェリクとドビアシュがゴールを決めて2-0で西ドイツをリードしたが、その後ミューラーとヘルツェンバインが2点を返し、勝負の行方は延長戦で決められることとなった。しかしここでも勝負はつかず、試合はユーロ始まって以来のPK戦へ。チェコスロバキアが4つのPKをすべて成功させた一方、西ドイツは4人目のヘーネスが失敗。大きなプレッシャーを背負った5人目のキッカー、アントニーン・パネンカはゴールキーパーの裏をかくまっすぐでやわらかな軌道のボールをネット中央に流し込み、チェコスロバキアの初優勝を決定づけた。現在このスタイルのキックはパネンカの名を冠した「パネンカ・キック」の通称で呼ばれている。
チェコスロバキア代表メンバー: ビクトル、ピバルニク、アントン・オンドルシュ、カプコビッチ、ゲーグ、ドビアーシュ(94分 ベッセリー)、モデル、パネンカ、マスニー、シュベーリク(79分 ユルケミク)、ネホダ
1980年イタリア大会
新方式採用と西ドイツ二度目の優勝
12年を経てイタリアが再び開催国となったユーロ1980。今回は予選ラウンド前に開催国が決定され、イタリアは自動的に本戦参加資格を得た。また今大会から開催国と、7グループによる予選を勝ち抜いた7カ国の合計8カ国が決勝トーナメントに参加する大会へと規模が拡大された。予選のグループ1ではイングランドが15ポイントを獲得するという圧倒的な強さをみせ、アイルランドだけがイングランドから1ポイントを奪取できた唯一のチームだった。グループ2はより熾烈な戦いとなり、12ポイントのベルギーと、11ポイントのオーストリアが予選を突破(直接対決は引き分けだった)。グループ3のスペインはユーゴスラビアとルーマニアを破り、グループ4ではオランダがハブ・スティーブンのゴールでポーランドを破り本戦に進んだ。チェコスロバキアはわずか1ポイント差でフランスを押さえて予選を突破。グループ6ではハンガリーとフィンランドを押しのけて、ギリシャが本戦進出を果たした。グループ7では西ドイツが圧倒的な強さを見せた。
ミラノ、トリノ、ローマ、ナポリの4都市で開催された本大会は2つのグループでリーグ戦を行い、各グループの優勝者が決勝戦で対決し、2位同士のチームが3位決定戦を行うというシンプルなものとなった。開催国のイタリアは八百長疑惑によりストライカーをはじめとする中心選手の数名が出場停止処分となっていた。特に人気を集めたのはイングランドと西ドイツの2チームであった。グループA(西ドイツ、オランダ、チェコスロバキア、ギリシャ)の第1戦は前大会の決勝戦と同じ、チェコスロバキア対西ドイツ。しかし今回は西ドイツが1-0でチェコスロバキアを破った。オランダはギリシャを相手に苦戦を強いられたもののペナルティーキックで1点を入れて勝利を収めるが、その後の対ドイツ戦では3-2で負けを喫した。チェコスロバキアはギリシャを3-1で倒した後、オランダと引き分け、一方西ドイツはギリシャに引き分けて早々と決勝戦進出を決めた。チェコスロバキアは得失点差でオランダに打ち勝ち、3位決定戦へと駒を進めた。
グループB(イタリア、スペイン、ベルギー、イングランド)は、最初の2試合のイタリア対スペイン戦(0-0)とベルギー対イングランド(1-1)がいずれも引き分けで終わる。6月15日にトリノで行われたイタリア対イングランド戦では、イタリアが1-0でイングランドに辛勝した。このグループリーグ開催中にはフーリガンによる暴動も発生した。ベルギーはスペインを2-1で破り、決勝トーナメント進出を賭けたイタリア対ベルギー戦は0-0のドローとなったが、得点でわずかにイタリアを上回ったベルギーが決勝へと駒を進めた。
3位決定戦はチェコスロバキア対イタリアの一戦。PK戦の末、チェコスロバキアが3位となった。ローマで行われた決勝戦は、西ドイツがベルギーを2-1で破り(ホルスト・ルベッシュによる2ゴール)、今大会の覇者となった。わずか21歳で代表入りしたベルント・シュスターは今大会のスタープレーヤーとしてその名を知られるようになった。
西ドイツ代表メンバー: ハラルド・シューマッハ、カルツ、カールハインツ・フェルスター、ウーリッヒ・シュティーリケ、ディエツ、ハンス=ペーター・ブリーゲル、ベルント・シュスター、ゲルト・ミュラー、カール・ハインツ・ルンメニゲ、ホルスト・ルベッシュ、クラウス・アロフス
1984年フランス大会
プラティニ、ヨーロッパの頂点に立つ
7回目を迎えたユーロフランス大会では、決勝トーナメントから3位決定戦が排除されるなど若干の変更が行われた。本戦出場は8カ国、パリ、マルセイユ、リヨン、ランス、ストラスブール、サンテティエンヌ、ナントの7カ所のスタジアムで開催された。ワールドカップの覇者であるイタリアは予選グループ最下位という成績で予選敗退となり、同じく1982年のスペイン大会で3位に入ったポーランドも予選を突破することができなかった。本戦へと駒を進めたのはルーマニア、ポルトガル、ベルギー、デンマーク、ユーゴスラビア、西ドイツ、スペインである。
6月12日、パリのパルク・デ・プランスでは満員の観衆のもとフランス対ベルギー戦が行われ、試合終了12分前にフランス代表のプラティニがゴールを決めてデンマークに勝利した。ランスのスタジアムではベルギー対ユーゴスラビア戦が行われ、ヴァンデンベルグとグルンがゴールを決めてベルギーが快勝。その後のフランス対ベルギー戦ではプラティニが驚異のハットトリックを決めて5-0でフランスが完勝し、デンマークも5-0でユーゴスラビアを倒した。フランスは3試合めとなる対ユーゴスラビア戦でも、プラティニがハットトリックを達成。最後のデンマーク対ベルギー戦は決勝トーナメント進出を賭けた真剣勝負となった。
ベルギーは試合開始後40分の時点で2-0とデンマークをリード。しかしその後、アルネセン、ラルセン、エルケーアが3点を入れて逆転し、デンマークが決勝トーナメントへの切符を手にした。西ドイツ、ポルトガル、スペイン、ルーマニアといった強豪ぞろいのグループBでは、西ドイツが苦戦。初戦の対ポルトガル戦を引き分けた後、ルーマニアに勝利し、最後のスペイン戦で引き分け以上の結果を残せば決勝トーナメント進出、というところまで行きながら、試合終了直前にスペイン代表のディフェンダー、マセーダに痛恨のゴールを決められてグループリーグ敗退を喫した。ポルトガルはスペインと引き分けた後、ルーマニアを倒して2位となり、スペインとともに決勝トーナメントに進んだ。
準決勝戦では、延長戦の途中までポルトガルが2-1でリードしていたが、114分にドメルグ、119分にプラティニが立て続けにゴールを決め、奇跡的な逆転劇を繰り広げる。スペイン対デンマーク戦はPK戦へともつれ込み、デンマーク代表のElkjaerが最後のPKをミスし、スペインが決勝へと進出した。スペイン代表のマセーダは累積警告により決勝戦出場が叶わず、フランス代表のプラティニが再びゴールを決め(実際にはスペインのゴールキーパのミス)、同じくフランス代表のベロンが決定打となる2点目を入れてフランスが勝利を手にした。
フランス代表メンバー: ジョエル・バツ、パトリック・バチストン (マニュエル・アモロス)、イボン・ルルー、マキシム・ボッシ、アラン・ジレス、ジャン・ティガナ、ルイス・フェルナンデス、ミシェル・プラティニ、ベルナール・ラコンベ、ベルナール・ジャンジニ(ブルーノ・ベロン)
1988年西ドイツ大会
オランダ悲願の優勝
1988年の西ドイツ大会の参加国は例年同様、33チーム。7つのグループに分かれて予選が行われた。この大会はドイツ統合前の最後の大会でもある。予選では東ドイツが前大会優勝国のフランスに勝る勢いを見せるが、予選グループをトップで勝ち抜いたのはソ連だった。その他にはスペイン、イタリア、イングランド、デンマーク、アイルランドなどが本戦へのチケットを手にした。
6月10日にグループリーグが幕を開け、グループA初戦の西ドイツ対イタリア戦ではイタリア代表のマンシーニが先制点をあげる。しかしそのわずか3分後には西ドイツ代表のブレーメが同点ゴールを入れ、結果は引き分けとなった。一方スペインはデンマークを3-2で破ったが、2試合目の対イタリア戦ではイタリアに敗北。西ドイツは第2戦の対デンマーク戦を白星で飾った。結果は西ドイツ(勝ち点5でトップ)とイタリアが決勝トーナメントに進出。グループBでも白熱した試合が展開された。第1戦目、イングランドがアイルランドにまさかの敗北を喫し、ソ連はオランダに勝利。6月15日のイングランド対オランダ戦ではマルコ・ファンバステンが歴史に残るハットトリックを達成した。この時点ではソ連とアイルランドがリードしていた。3日目、ソ連がイングランドを3-1で倒し、イングランドは勝ち点0でグループステージを終了。アイルランドは82分にWim Kieftが貴重なゴールを決め、準決勝進出への期待が高まったが、オランダの勝利によってその夢は立ち消えた。
運命の準決勝、オランダ対西ドイツ戦は西ドイツ代表のマテウスがペナルティーキックを決めて先制点をあげると、今度はオランダ代表のクーマンがペナルティーキックを決めて同点にする。誰もが延長戦での勝負を確信した89分、オランダ代表のファン・バステンが決勝のゴールを決めた。一方ソ連は4分間に2点をたたき出し、イタリアを撃破。決勝戦は6月25日土曜日、オランダとソ連の間で行われることとなった。
決勝戦ではオランダ代表のフリットが前半に先制点を決め、後半にはファン・バステンのボレーシュートが決まり、オランダが悲願のトロフィーを手にした。ファン・バステンは今大会で5得点を挙げ、得点王となった。
オランダ代表メンバー: ハンス・ファン・ブロイケレン、ベリー・ファン・エーレ、フランク・ライカールト、ロナルド・クーマン、ファン・ティヘレン、ジェラルド・ファネンブルグ、ヤン・ボウタース、アーノルド・ミューレン、エルウィン・クーマン、ルート・フリット、ファン・バステン
1992年スウェーデン大会
大きな番狂わせ
1992年のスウェーデン大会は、本大会出場が決定していたユーゴスラビアが内戦による国際試合参加禁止の制裁により出場権を剥奪され、デンマークがその代わりに出場資格を取得。同じく本大会出場が決定していたソ連代表がソ連崩壊によりCIS代表と名将を変更して出場するなど、激動の国際情勢を反映させた大会となり、予選には新たにサンマリノとフェロー諸島が加わった。
予選のグループ1ではフランスが8勝0敗で独走し、グループ2ではスコットランドがスイスとルーマニアに1ポイント、ブルガリアに2ポイントという僅差でトップとなる。統一後初の国際大会となったドイツはグループ5でウェールズなどと対戦し、予選を突破。同じくオランダとイングランドが本大会進出を決めた。
各4チーム2グループというドイツ大会と同じ形式でストックホルム、マルメ、ヨーテボリ、ノーショーピングのスタジアムを舞台に繰り広げられた本大会。準決勝と決勝の舞台にはヨーテボリのウレヴィ・スタジアムが使用された。技術的な観点から見るとこのトーナメントは非常にレベルの低い内容となったが、そんな中でもデンマーク代表の奮闘は目を引いた。引き分けに終わった3試合(デンマーク対イングランド、フランス対スウェーデン、フランス対イングランド)の後、モラーニールセン監督率いるデンマーク代表はスウェーデンに敗北(トーマス・ブロリンが得点)。しかし対フランス戦ではエルストルップが後半終盤で貴重な1点をたたき出して2-1とし、フランスを破った。イングランドは開催国のスウェーデンに負けを喫し、スウェーデンとデンマークが決勝トーナメント進出を決めた。グループBでは1位のオランダと2位のドイツが決勝トーナメントに進出。スウェーデンとドイツの間で行われた準決勝戦は、今大会最高の試合内容ともいえるもので、ドイツが2-3でスウェーデンを破り決勝へと進んだ。もう一つの準決勝戦ではデンマーク代表のヘンリク・ラルセンが2ゴールを決めるが、オランダ代表のベルカンプとライカールトがそれぞれゴールを決めて試合は延長戦へ。延長戦では勝負がつかずPK戦へともつれ込んだ準決勝戦、最後はオランダのマルコ・ファンバステンがPKを外し、デンマークは決勝戦に勝ち進んだ。ドイツとの決勝戦ではイェンセンとヴィルフォルトがゴールをたたき出してドイツに圧勝し、初の優勝杯を手にした。
デンマーク代表メンバー: ピーター・シュマイケル、ヨン・シヴェヴァエク (クラウス・クリスティアンセン)、ケント・ニールセン、ラース・オルセン、トルベン・ピエチェニク、キム・クリストフ、ヨン・イェンセン、キム・ヴィルフォルト、ヘンリク・ラーセン、フレミング・ポウルセン、ブライアン・ラウドルップ
1996年イングランド大会
ビアホフがもたらしたドイツ優勝
旧ソビエト連邦や旧ユーゴスラビアの解体により、ユーロ参加国が48に増加。UEFAは本大会出場チーム枠を16に増やした。勝ち点は3ポイントとなり、延長戦方式の一つであるゴールデンゴールが取り入れられることとなった。1996年大会の開催国はイングランド。予選は各6カ国の7チームと5カ国の1チームに分けられた。予選を1位で突破して本戦への切符を手に入れたのはルーマニア、スペイン、スイス、クロアチア、チェコ、ポルトガル、ドイツ、ロシアで、これに予選グループ2位のイタリア、ブルガリア、トルコ、スコットランド、デンマーク、フランスとプレーオフを勝ち抜いたオランダが加わった。本戦はウェンブリー、エランド・ロード、オールド・トラッフォード、アンフィールド、ヒルスボロー、ヴィラ・パーク、セント・ジェームス・パーク、シティ・グラウンドの8カ所のスタジアムで、6月8日から30日までの間開催された。
77000人の観衆を迎えてウェンブリー・スタジアムで行われたイングランド代表の初試合は、スイスとの引き分けに終わった。しかしその後は永遠のライバルであるスコットランドとオランダに勝利。対オランダ戦ではシアラーやシェリンガムが得点し、4-1の大差で快勝した。結果、イングランドはグループ1位で決勝トーナメントへの進出を決め、オランダもイングランドに続いてトーナメント進出を果たした。グループBからはフランスとスペインが進出。「死のグループ」と呼ばれたグループCではイタリア、ドイツ、チェコ、ロシアという強豪チームの間で熾烈な戦いが繰り広げられた。イタリアは初戦の対ロシア戦を白星で飾るが、その後の対チェコ戦ではスタメン選手の温存を図ったことが災いし、チェコに敗北。対ドイツ戦ではイタリア代表のゾラがペナルティーキックを外し、イタリアはグループリーグを敗退した。グループCからはドイツとチェコが進出を決めた。また、グループDでは前大会の覇者であるデンマークがグループリーグ敗退を喫し、ポルトガルとクロアチアが決勝トーナメントに駒を進める。
迎えた決勝トーナメント準々決勝はゴールに恵まれず、イングランド対スペイン戦、フランス対オランダ戦はいずれも0-0のドロー。イングランドとフランスがPK戦で勝利を手にした。ドイツは激しい戦いの末、ザマーが決勝点を上げてクロアチアを破り、ポルトガルはチェコに勝利。準決勝もまたPK戦へともつれ込み、いずれもPK6-5でチェコとドイツが決勝への進出を決めた。
ロンドンのウェンブリー・スタジアムで行われたチェコとドイツの決勝戦では、チェコのベルゲルがペナルティーキックで先制点をあげる。ドイツの代表監督ベルティ・フォクツは後半に入るとセンターフォワードのビアホフを投入。そのわずか4分この大会の得点王となった。
ドイツ代表メンバー: アンドレアス・ケプケ、マティアス・ザマー、マルクス・バベル、トーマス・ヘルマー、トーマス・シュトルンツ、トーマス・ヘスラー、ディーター・アイルツ (46分 マルコ・ボーデ)、メフメト・ショル(69分 オリーバー・ビエルホフ)、クリスティアン・ツィーゲ、ユルゲン・クリンスマン、ステファン・クンツ
2000年オランダ/ベルギー大会
初の2カ国共催とゴールデンゴール
出場国は、初の共催が決まったベルギーとオランダが加わって合計51チーム。49チームが9グループに分けられ、それぞれのグループを1位で突破したチームにプレーオフを勝ち抜いたチームと開催国が加わって合計14チームが本大会に進出した。本戦出場国はイタリア、ノルウェー、ドイツ、フランス、スウェーデン、スペイン、ルーマニア、ユーゴスラビア(セルビアモンテネグロ)、チェコ(30ポイント獲得)。さらにポルトガルはベスト・ランナーアップとして出場が決まり、プレーオフの勝者であるイングランド、デンマーク、スロベニア、トルコも同じく本戦に駒を進めた。
オランダ、ベルギー国内の各4スタジアムで開催された本大会ではイタリア、トルコ、スウェーデン(初出場)とともにグループBに属していたベルギーがまさかのグループリーグ敗退。グループAのドイツはわずか1得点のみという過去最悪の成績でグループリーグ敗退を喫した。ドイツを3-0で破ったポルトガルとルーマニアが、イングランドを押さえて決勝トーナメントに進出。グループCではスペインが1位でグループリーグを突破し、ユーゴスラビアもトーナメントに駒を進めた。もう一つの開催国であるオランダはグループDで9ポイントを獲得して1位となり、6ポイントのフランスとともにトーナメントへと進んだ。
準々決勝は2-1の僅差でスペインを下したフランスを除いては、イタリア、ポルトガル、オランダという強豪国が順当な勝ち上がりを見せた。特にオランダはユーゴスラビアを相手に6点をたたき出して、圧勝した。最初の準決勝戦はポルトガル対フランス。ポルトガルのヌノ・ゴメスが先制点を挙げると、フランスのティエリ・アンリが同点ゴールを決め、試合は延長戦へ。フランスが攻め、ポルトガルが守るという試合展開が続いた。誰もがPK戦での勝負を確信した117分、審判がフランスにペナルティーキックのチャンスを与える。このチャンスをジダンが見事にものにし、フランスが決勝戦進出のチケットを手に入れた。イタリアは予選でのベルギー戦に続き、開催国オランダと対戦。この試合のヒーローは、イタリア代表のゴールキーパー、トルドであった。オランダはPK戦での3本も含め計5本のPKを失敗、フランチェスコ・トッティがPKでファン・デル・サールからチップキックでゴールを奪い、イタリアは32年振りの優勝を目指して決勝戦へと進んだ。
決勝戦はロッテルダムで行われ、前半は0-0の引き分けで終了。後半に入ると、デルベッキオが先制点をあげてイタリアがリードしたが、89分にフランスのヴィルトールが同点ゴールを決め、さらにロスタイムにトレゼゲがボレーシュートを放ち、フランスが二度目となるヨーロッパ制覇を成し遂げた。
フランス代表メンバー: ファビアン・バルテズ、リリアン・テュラム、ローラン・ブラン、マルセル・デサイー、ビシェンテ・リザラズ (ロベール・ピレス)、パトリック・ヴィエイラ、ディディエ・デシャン、ユーリ・ジョルカエフ(ダヴィド・トレゼゲ)、ジネディーヌ・ジダン、クリストフ・デュガリー(シルヴァン・ウィルトール)、ティエリ・アンリ
2004年ポルトガル大会
ポルトガルの落胆とギリシャの驚喜
ユーロ2004の予選出場チームは51。ポルトガルは開催国のため自動的に出場が決定した。その他の50の国と地域が5チームずつの10グループに分けられ、各グループのリーグ戦でトップとなった10カ国が自動的に本戦出場、さらに2位チーム同士によるホーム・アンド・アウェー方式のプレーオフを勝ち抜いた5カ国にポルトガルを加えた計16カ国が本大会に出場した。
予選ではフランスが最多得点を記録し、チェコスロバキアはわずか1敗で本大会出場を決めた。その他にはデンマーク、スウェーデン、ドイツ、ギリシャ、イングランド、ブルガリア、イタリアが予選突破を果たす。プレーオフではラトビアがトルコを相手に3-2で勝利し、本戦進出の快挙を成し遂げたほか、オランダ、クロアチア、ロシア、スペインが本大会に駒を進めた。
本戦は初の開催国となったポルトガルで、6月12日から7月4日まで、10のスタジアムで行われた。初日の対ギリシャ戦でポルトガルは痛恨の負けを喫する。怪我を押しての出場で注目されたクリスティアーノ・ロナウドが1点を入れるものの、ギオルゴス・カラグーニスやアンゲロス・バシナスのゴールが決まり、結果は2-1でギリシャが勝利した。またスペインはロシアに勝利した。
第2試合目、ギリシャはスペインに引き分けた。ポルトガル(ロシアに2-0で勝利)は予選突破のためにはどうしてもスペインを倒す必要があった。ポルトガルはヌノ・ゴメスの1点でスペインを破り、グループ1位となる。ギリシャはロシアに敗れたものの、予選を突破。優勝候補と言われたスペインはあえなくグループリーグ敗退を喫した。
イタリアもユーロ2004では苦戦した。デンマークに0-0で引き分けたほか、イタリアのエース、トッティは相手選手につばを吐いた行為で以降3試合の出場停止処分となる。結果、グループCの予選突破組は直接対決では2-2で引き分けたスウェーデンとデンマークに決まる。
もう一つの番狂わせはドイツのグループリーグ敗退である。ドイツはチェコ、オランダに次ぐ第3位で大会を退いた。過去の優勝チームであるフランスはグループBに属し、イングランドとともに本戦に進出するが、リスボンのジョゼ・アルヴァラーデ・スタジアムで行われた準々決勝対ギリシャ戦で、ギリシャのアンゲロス・ハリステアスに1点を奪われ、敗退を喫してしまった。
ポルトガルはイングランドを相手に迎えた準々決勝でPK戦へともつれ込み、ポルトガルのゴールキーパー、リカルドがグローブなしで相手選手のシュートを止めた後、自らがPKを成功させるという劇的な勝利を収める。同じくスウェーデンとオランダの試合もPK戦までもつれ込んだが、オランダのロッペンがチーム5本目のPKを成功させ、オランダに勝利をもたらした。チェコはデンマークを3-0で破り、チェコのミラン・バロスがこの試合のマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた。
準決勝のギリシャ対チェコ戦では、ギリシャのディフェンダー、トライアノス・デラスが貴重なゴールを決めて勢いに乗るチェコを撃破。オットー・レーハーゲル監督率いるギリシャが、ユーロ決勝戦進出という歴史的快挙を成し遂げた瞬間だった。決勝戦の相手は奇しくもグループリーグ初戦で顔を合わせたポルトガル。ポルトガル優勝のムードに包まれる中、またしてもハリステアスがコーナーキックからのボールをヘディングで押し込み、この1点でギリシャが初のビッグタイトルを手にした。優勝杯を高々とあげる主将テオドロス・ザゴラキスの姿に、ポルトガルの優勝を信じてきたリスボン中の人々が大きな落胆に包まれた。
ギリシャ代表メンバー: アントニオス・ニコポリディス; ユールカス・セイタリディス、ミハリス・カプシス、トライアノス・デラス、パナギオティス・フィサス; ステリオス・ギアンナコプーロス、スティリアノス・ヴェネティディス、テオドロス・ザゴラキス、アンゲロス・バシナス、コンスタンティノス・カツラニス、アンゲロス・ハリステアス
過去の最多優勝チーム
現在までのユーロ最多優勝回数を誇るのは3回のドイツ代表。フランスの2回がそれに続く。
| 代表 | 優勝回数 |
|---|---|
| ドイツ | 3 |
| フランス | 2 |
| ギリシャ | 1 |
| デンマーク | 1 |
| オランダ | 1 |
| イタリア | 1 |
| スペイン | 1 |
| ソビエト連邦 | 1 |
| チェコスロバキア | 1 |

