1977/09/17
ティエリ・ダニエル・アンリ
フランス、レス・ユリス
188cm
ストライカー
アンリ、ティティ
離婚 (クレア メリー)
バルセロナ
クラブ/チーム
バルセロナ (2007- )
アーセナル (1999-2007) ユベントス (1999) ASモナコ (1994-1998)
フランス
ASモナコ (1992-1994) クレールフォンテーヌ(1992) ビリー・シャティヨン(1990-1992) US パレゾー (1989-1990) COレス・ユリス (1983-1989)
出来事と背景
目次 |
ティエリ・アンリ
1977年9月17日、パリ近郊レ・ユリスで生まれ。1994年ASモナコでプロサッカー選手としてスタートした。現在世界最高のストライカーの1人。ユベントス、アーセナルでプレーした後、2007年6月、4年契約でバルセロナに移籍した。1998年ワールドカップ、2000年欧州選手権優勝メンバー。代表チームで長年にわたりエースストライカーとして活躍しミシェル・プラティニを抜いてフランス代表通算最多ゴールを記録。
経歴
ティエリ・ダニエル・アンリはアンティル諸島の出身の両親のもとでパリ近郊レ・ユリスに生まれた。父アントワーヌはグアドループ島出身、母マリーズはマルティニーク島出身。アンリは6歳の頃近所のクラブCOレ・ユリスでサッカーを始めた。1989年US パレゾーに入団、その一年後ビリー・シャティヨンに移った。
1990年、ASモナコのスカウト、アーノルド・カタリーノの前で1試合6ゴールを挙げたアンリはスカウトの目に留まりASモナコ入団の打診を受ける。その後カタリーノの求めでクレールフォンテーヌ国立アカデミーのトレーニングコース終了後、モナコの育成機関に入団した。そこで後に彼の良き理解者となるアーセン・ベンゲルと出会う。1994年9月31日17歳でニース戦にてプロデビュー。1999年イタリアチャンピオンであったユベントスと契約、ウイングとしてプレーするも不慣れなポジションもあって不発に終わる。
1998-1999シーズンの終わりにアーセナルに移籍。その後8年間でリーグ優勝2回、FAカップ優勝3回を成し遂げる。アーセナルのクラブ記録である通算226ゴールを記録した。 2007年6月25日バルセロナと4年契約2400万ユーロでスペインに渡った。
クラブ
AS モナコ (1992-1999)
1992-1995 : アンリは入団試験免除でASモナコに入団した。カタリーノの強い勧めもあってアンリはクレールフォンテーヌ国立アカデミーで一年間トレーニングを積み、ASモナコの育成機関に加入した。そして1994年9月31日ニース戦にて左ウイングでプロデビュー。プロ初シーズン16試合出場3得点であった。
1995-1997 : 1996年当時の監督アーセン・ベンゲルはアンリに最も適したポジションはセンターフォワードと判断しストライカーとして起用した。初めてのポジションにもかかわらずアンリはフランス年間最優秀ヤングフットボーラーに選ばれた。この年36試合出場6得点でモナコのリーグ優勝に貢献した。同年でアンリの良き理解者ベンゲルはクラブを去りアーセナル監督に就任した。
1997-1999 : ヨーロッパデビューとなった1997年、“ティティ”ことアンリは大会通じてフランス記録の7ゴールを挙げチームをUEFAチャンピオンズリーグベスト4に導いた。モナコは準決勝でユベントスに敗退するもグループステージでレバークーゼン退き1位で通過、準々決勝でマンチェスター・ユナイテッドを撃破する活躍を見せた。シーズン終了後ユベントスに1070万ユーロで移籍した。
ユベントス (1999)
1999 : 左サイドのウイングとしてプレーを求められたアンリは精彩を欠きベンチを暖めることが多かった。結局16試合出場3ゴールという成績に終わり、僅か6ヵ月でセリエAを去ることになる。恩師アーセン・ベンゲルが指揮を執るアーセナルに移籍。
アーセナル (1999-2007)
1999-2000:クラブ合流後、早速ベンゲルから指導を受け、移籍した同じフランス人FWニコラ・アネルカの代わりとしてプレミアリーグでの活躍を期待されるもデビューから8試合無得点に終わる。アンリ自身も“シュートの仕方を一から学ぶ必要がある”と述べるなど次第に不安視する声が大きくなっていた。しかしながら徐々にプレミアリーグに適応することに成功。チームはマンチェスター・ユナイテッドに次ぐ2位に終わるも31試合26ゴールという驚異的な決定力を見せつける。同年のUEFAカップでは12試合8ゴールという活躍でチームを決勝まで導くもガラタサライSKに敗れた。
2000-2001シーズンにおいては36試合17ゴールでチーム得点王。プレミアリーグ、FAカップいずれも2位の成績を残す。しかし優勝までは届かず翌シーズンの雪辱を誓った。
2001-2002 : アンリは最高のシーズンを迎える。リバプールに7ポイント差をつけて自身初のプレミア制覇、さらにチェルシーを2-0で降しFAカップ優勝。アンリは全公式戦で32得点を挙げそのうちプレミアリーグで33試合24ゴールと驚異的な記録で得点王に輝いた。
2002-2003 : アンリは前年に引き続き好調を維持。年間通じて42ゴール23アシストを記録する。アーセナルはFAカップ連覇を果しアンリはPFA年間最優秀選手賞、FWA年間最優秀選手賞を受賞、FIFA年間最優秀選手の投票でも次点の得票数であった。プレミアリーグの得点王はルート・ファン・ニステルローイに1ゴール及ばなかった。
2003-2004 : この年アーセナルは国内リーグを無敗で制するという偉業を成し遂げた。プレストン・ノース・エンド以来 115年ぶりの快挙であった。アンリはフランス人チームメイト、ロベール・ピレスとともにゴールを量産、2人で全公式戦54得点を記録した。再びアンリはPFA年間最優秀選手賞、FDA年間最優秀選手賞を受賞、FIFA年間最優秀選手では惜しくも次点。アンリは全公式戦で39得点を挙げヨーロッパ最高のストライカーに贈られるゴールデン・ブーツを受賞した。
2004-2005 : ガナーズ(アーセナルの愛称)はこの年チェルシーに次ぐプレミアリーグ2位、FAカップ優勝。アンリはシーズン途中にパトリック・ヴィエラが突然退団したことでフォワードにもかかわらずキャプテンに就任した(ストライカーのキャプテンは一般的でなかった)。アンリはキャプテンとしてチームを引っ張り、自身も32試合出場25得点を挙げディエゴ・フォルランとともに再びヨーロッパゴールデンブーツに輝いた。
2005-2006 : 2005年10月17日、アンリはチャンピオンズリーグ、スパルタ・プラハ戦において2得点を挙げ、イアン・ライトの185ゴールを抜きクラブ得点記録を塗り変えた。さらに2006年2月1日、プレミアリーグにて151得点目を記録しクリフ・バスティンの持つクラブのリーグ得点記録も更新した。アンリは再びFDA年間最優秀選手賞を受賞。アーセナルは2006UEFAチャンピオンズリーグ決勝に進むもバルセロナに1-2で敗れた。アンリはスペインの数クラブから5000万ユーロのオファーも受けるもアーセナルと4年契約を結びアーセナルでキャリアを終える意向を表明した。もしこの移籍が現実のものになっていればレアル・マドリードに移籍したジダンの4700万ユーロを超えて史上最高金額になっていた。
2006-2007 : アンリはシーズン当初ハムストリングや背中の故障で出遅れ、さらに2007年2月、検査の結果最低3ヶ月の治療を必要と診断され残りのシーズンを棒に振ってしまう。2007年6月25日、アンリはバルセロナと1610万ユーロで4年契約を結んだ。アンリは「もしアーセナル以外でプレーするならバルセロナと常に言ってきた」と語った。クラブを去る理由として当時の副会長デイヴィッド・デインがクラブを離れることとベンゲルがクラブに残るのか不透明であることを挙げた。8年間もの素晴らしいシーズンをガナーズで過ごしたアンリはアーセナル史上最高のストライカーとして歴史に名を残しクラブを去った。国内リーグ通算174ゴール、UEFA公式戦42ゴール。369試合出場で226ゴールという驚くべき記録であった。
バルセロナ (2007-現在)
アンリは2007年9月26日、ラシン・サンタンデル戦においてスペインデビュー。チャンピオンズリーグ、リオン戦で移籍後初ゴールを決めると2007年11月29日レバンテ戦でリーガでの初ハットトリックを決めた。この年リーガで16試合で6得点、2007-2008チャンピオンズリーグでは4試合で2得点を記録した。
代表
フランス代表
1997年6月、アンリはU20フランス代表に初選出された。1997年FIFAワールドユースで後のフル代表でともにプレーすることになるダヴィド・トレゼゲやヴィリアム・ギャラスらと出場。その後4ヶ月もしないうちに代表監督エメ・ジャケはアンリを招集、1997年10月11日南アフリカ戦で代表デビューを果した。ジャケの信頼を得たアンリは1998ワールドカップに出場、世界的には無名であったがチームトップとなる3ゴールを記録しフランス初のワールドカップ優勝に貢献した。
2000年欧州選手権でもチームトップとなる3ゴールを挙げた。特に準決勝ポルトガル戦では同点に追いつく貴重なゴールを決めチームに貢献。フランスは決勝でイタリアを退け史上初のワールドカップと欧州選手権と同時優勝を果す。
2002FIFAワールドカップはアンリとフランス代表にとって悪夢の大会であった。フランスは初戦のセネガル戦を0-1で落とし、2試合目のウルグアイ戦でアンリはレッドカードを受けてしまい退場、チームは引き分けに終わってしまう。出場停止処分によりグループステージ最終戦に出場出来ず、フランスは0-2でデンマークに敗れフランスは早々に姿を消した。アンリは無得点に終わった。
2003コンフェデ杯でフランスはジダン、ヴィエラを欠くもアンリの活躍で優勝する。アンリは決勝カメルーン戦でゴールデンゴールを決めるなど大車輪の働きを見せ5試合中3試合にFIFAの選ぶマンオブザマッチに選出された。大会通算4得点で得点王に輝くと同時に大会MVPにも選ばれる。
2004欧州選手権、フランスは準決勝でギリシャに敗れた。アンリは全試合に出場し2得点であった。2006ワールドカップではアンリは世界から注目を集める選手の1人として出場。ブラジル戦でジダンの素晴らしいアシストから決勝点を決めた。フランスは決勝でイタリアに敗れるもアンリは大会MVPにノミネートされた。結局大会MVPの栄冠はジダンが手にした。
2007年10月13日、アンリはフェロー諸島戦で代表通算41ゴール目を挙げミシェル・プラティニに追いつく。4日後のリトアニア戦で記録更新となる2ゴールを挙げた。通算代表98キャップ、44ゴール。
国際試合での得点
| チーム | シーズン | 出場 | 得点 |
|---|---|---|---|
| フランス | 1997–98 | 10 | 3 |
| 1998–99 | 1 | 0 | |
| 1999–00 | 11 | 5 | |
| 2000–01 | 8 | 2 | |
| 2001–02 | 9 | 2 | |
| 2002–03 | 13 | 10 | |
| 2003–04 | 12 | 5 | |
| 2004–05 | 7 | 2 | |
| 2005–06 | 15 | 7 | |
| 2006–07 | 6 | 3 | |
| 2007–08 | 6 | 5 | |
| 合計 | 98 | 44 |
獲得タイトル
- AS モナコ
- リーグ 1 : 1996-1997
- フランススーパーカップ : 1997
- アーセナル
- FA プレミアリーグ : 2001-2002, 2003-2004
- FA カップ : 2002, 2003, 2005
- FA コミュニティシールド : 2002, 2004
- UEFA チャンピオンズリーグ : 準優勝 : 2006
- UEFA カップ : 準優勝 : 2000
- フランス代表
- FIFA ワールドカップ : 1998, 準優勝 : 2006
- 欧州選手権 : 2000
- コンフェデレーションカップ : 2003
個人タイトル
| 先代 | 賞 | 年 | 次代 |
|---|---|---|---|
| -- | フランス年間最優秀ヤングフットボーラー | 1996 | -- |
| シルヴァン・ヴィルトール | フランス年間最優秀選手 | 2000 | パトリック・ヴィエラ |
| ジミー・フロイド・ハッセルバインク | FA プレミアリーグ得点王 | 2001-2002 | ルート・ファン・ニステルローイ |
| ルート・ファン・ニステルローイ | FA プレミアリーグ得点王 | 2003–04, 2004–05, 2005–06 | ディディエ・ドログバ |
| ルート・ファン・ニステルローイ | PFA年間最優秀選手賞 | 2003 | -- |
| ロベール・ピレス | FWA年間最優秀選手賞 | 2003 | -- |
| -- | コンフェデ杯得点王 | 2003 | -- |
| -- | コンフェデ杯MVP | 2003 | -- |
| ロナウド | オンズドール賞 | 2003 | ディディエ・ドログバ |
| ジダン | フランス最優秀選手賞 | 2003 | -- |
| ロイ・マカーイ | ヨーロッパ・ゴールデンブーツ | 2004 | -- |
| -- | フランス最優秀選手賞 | 2004 | -- |
| -- | PFA年間最優秀選手賞 | 2004 | ジョン・テリー |
| -- | FWA年間最優秀選手賞 | 2004 | フランク・ランパード |
| -- | PFA年間最優秀選手賞 | 2005 | -- |
| -- | ヨーロッパ・ゴールデンブーツ | 2005 | ルカ・トーニ |
| フランク・ランパード | FWA年間最優秀選手賞 | 2006 | クリスティアーノ・ロナウド |
| -- | フランス最優秀選手賞 | 2006 | フランク・リベリー |
| ロナウジーニョ | オンズドール賞 | 2006 | カカ |
| -- | 世界べストイレブン・ストライカー | 2006 | -- |
| パトリック・ヴィエラ | アーセナルキャプテン | 2005-2007 | ヴィリアム・ギャラス
|
個人成績
| チーム | シーズン | リーグ | 国内カップ | 国際試合 | 合計 | ||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| M | G | A | M | G | A | M | G | A | M | G | A | ||
| ASモナコ | 1994-1995 | 8 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | 3 | ||||
| 1995-1996 | 18 | 3 | 3 | 0 | 1 | 0 | 22 | 3 | |||||
| 1996-1997 | 36 | 9 | 3 | 0 | 9 | 1 | 48 | 10 | |||||
| 1997-1998 | 30 | 4 | 5 | 0 | 9 | 7 | 44 | 11 | |||||
| 1998-1999 | 13 | 1 | 1 | 0 | 5 | 0 | 19 | 1 | |||||
| 合計 | 105 | 20 | 12 | 0 | 24 | 8 | 141 | 28 | |||||
| ユベントス | 1998-1999 | 16 | 3 | 2 | 16 | 3 | 2 | ||||||
| 1999-2000 | 31 | 17 | 9 | 5 | 1 | 0 | 12 | 8 | 48 | 26 | 9 | ||
| 2000-2001 | 35 | 17 | 3 | 4 | 1 | 0 | 14 | 4 | 53 | 22 | 3 | ||
| 2001-2002 | 33 | 24 | 5 | 5 | 1 | 0 | 11 | 7 | 0 | 49 | 32 | 5 | |
| アーセナル | 2002-2003 | 37 | 24 | 23 | 6 | 1 | 0 | 12 | 7 | 0 | 55 | 32 | 23 |
| 2003-2004 | 37 | 30 | 9 | 4 | 4 | 0 | 10 | 5 | 2 | 51 | 39 | 11 | |
| 2004-2005 | 32 | 25 | 15 | 2 | 0 | 0 | 8 | 5 | 0 | 42 | 30 | 15 | |
| 2005-2006 | 32 | 27 | 7 | 2 | 1 | 0 | 10 | 5 | 2 | 44 | 33 | 9 | |
| 2006-2007 | 17 | 10 | 6 | 3 | 1 | 1 | 7 | 1 | 0 | 27 | 12 | 7 | |
| 合計 | 254 | 174 | 77 | 31 | 10 | 1 | 84 | 42 | 4 | 369 | 226 | 82 | |
| バルセロナ | 2007-2008 | 18 | 6 | 5 | 5 | 3 | 0 | 4 | 2 | 1 | 27 | 11 | 6 |
| 総通算成績 | 15 | 391 | 203 | 84 | 46 | 12 | 1 | 112 | 52 | 5 | 549 | 267 | 90 |
M = 試合数, G = ゴール数, A = アシスト数
プライベート
2003年7月5日アンリはイギリスのモデル、クレア・メリーとハイクレアー城で結婚式を挙げた。2005年5月27日第一子となるティー(Tea)をもうける。しかしバルセロナ移籍後2人は離婚した。 アンリはNBAの大ファンでありNBAプレーヤー、トニー・パーカーは親友である。2001NBAファイナルにフランスのテレビ局の中継放送に出演、さらに2007NBAファイナルでは友人トニー・パーカーと彼のチームサンアントニオ・スパーズを現地で観戦した。
ユニセフのFIFA親善大使でありサッカーを通した子供教育推進のCMに他の選手とともに出演している。2004年スペイン代表のルイス・アラゴネス監督がアンリに対する人種差別的発言“クソ黒人野郎“を発したことを機にアンリはナイキ社協賛のもとStand Up Speak Up(立ち上がれ、声を上げろ)キャンペーンを立ち上げスポークスマンとして活動している。これらの活動でタイムズ誌が選ぶ2007年のヒーロー&パイオニア100人に選出された。
妻
クレア・メリー
クレア・メリーまたはニコール・メリーの名で知られるイギリスのモデル。アンリとの4年間と結婚生活の後2007年9月に離婚。アンリとの間に1人子供(ティー)がいる。
スポンサー
ナイキ、リーボック、ジレット、ルノー、ペプシ
外部リンク
- http://en.wikipedia.org/wiki/Thierry_Henry
- http://www.thierry-henry.net/francais.htm
- http://thierryhenry.soccerstar.org/thierry-henry-biography.aspx

