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Full name:

アーセナルFC

Nickname(s):

ガナーズ(砲撃手の意)

Founded:

1886年

Home stadium:

エミレーツ・スタジアム

Chairman:

ピーター・ヒルウッド

Manager:

アーセン・ベンゲル

League:

プレミアリーグ

Facts & History

目次

アーセナル・フットボールクラブ

アーセナルはロンドン北部の町、ホロウェイに拠点を置く。イングランド・プレミアリーグに所属し、UEFAチャンピオンズリーグにも出場。イングランド・サッカー界において最も成功したチームの一つに挙げられ、これまでにリーグ優勝13回、FAカップ優勝10回、リーグカップ優勝2回を果たしている。

ヨーロッパにおいて、アーセナルはUEFAカップ、UEFAカップウィナーズカップを獲得した経験があり、2005-06年にロンドンのチームとして初めてチャンピオンズリーグ決勝戦に進出を決めたチームでもある。

1886年の創立以降、1930年代にはリーグ優勝5回、FAカップ2回の記録を樹立。1970-71年、1997-98年、2002-03年にはリーグ/FAカップのダブル優勝という快挙を成し遂げた。2003-04年にはプレミアリーグにおいて無敗優勝を達成、2002/03年のシーズン終盤から始まった連続無失点試合の記録は2004/05年のシーズン初めに49でストップ。オールド・トラッフォード・スタジアムで行われたこの試合は、ウェイン・ルーニーのペナルティーキックが物議を醸したことでも記憶に新しい。

現在のチームのユニフォームは赤と白。当初は赤一色だったが、その後袖の部分が白になり、ハイバリー・スタジアムを本拠地としていた最初と最後の年にはえんじ色のシャツを着用していた。 巨大なファン組織を有することで知られるアーセナルだが、本拠地が長い移民の歴史を持つロンドン北部であることから、様々な国出身の移民を多くファンに持つ。複数のライバルチームを持つが、すぐそばのホワイト・ハート・レーンにホームスタジアムを有するトッテナム・ホットスパーとは、最も激しいライバル関係にある。


歴史

1886年、ウーリッジにある王立兵器工場で働いていた労働者らによって創立された「ダイアル・スクエア」は、その後まもなく「ロイヤル・アーセナル」へとチーム名を変更、さらにプロ化する直前の1891年には「ウーリッジ・アーセナル」へと変名している。1893年にはセカンド・ディビジョンに所属、1904年に優勝してファースト・ディビジョンに昇格した。

その後クラブは財政難に陥り、1910年には破産を経験している。これは、ウーリッジが地理的に孤立していたことが主な原因で、他のどのチームに比べても観客数が少なかったためである。破産後にヘンリー・ノリスが実権を握った後、彼はチームの本拠地を移転させることを決定。アーセナルは当時再びセカンド・ディビジョンに降格したばかりだったが、ロンドン北部のハイバリーにあるアーセナル・スタジアムへ拠点を移した。それから1年後、チーム名は現在の「アーセナル」へと変更された。

1919年、リーグの再構築が検討されていた頃、アーセナルはライバルチーム、トッテナムの費用拠出によってファースト・ディビジョンに返り咲くこととなる。この提案はリーグをより魅力的なものにするものと考えられていたが、一方でヘンリー・ノリスとの秘密裏の取引があったのではないかという疑いももたれている。しかし、その後アーセナルは成功への道をたどり始め、これ以降トップリーグから降格したことはない。

真の転換期となったのは1925年。当時ハドラーズフィールド・タウンの監督を務めていたハーバート・チャップマンを監督に迎え入れたことで、チームは大きく花開く。チャップマンはアーセナルだけでなく、イングランドのサッカー界にとっても革新者であり、現在も伝説の人物として受け入れられている。1923-24年と1924-25年の二度にわたってハドラーズフィールド・タウンをリーグ優勝に導いたチャップマンは、アーセナルにおいてもその能力を遺憾なく発揮。クラブのトレーニング方法や戦術(WHフォーメーション)を改革し、チームに最初の成功をもたらした。彼は、チーム初のスター選手となるアレックス・ジェームスや元最多得点選手のクリフ・バスティンを獲得。アーセナルは1930年代のイングランドサッカーを支配するチームへと上りつめた。チャップマンの指導のもと、アーセナルは1929-30年にFAカップ優勝、1930-31年と1932-33年にファースト・ディビジョン優勝を果たす。1932年には彼の功績が評価され、地元のガレスピー通りにある地下鉄の駅が「アーセナル」と命名された。これは駅にサッカークラブの名前が付けられた最初の出来事である。 1934年、チャップマンは肺炎で突然の死を遂げるが、その後もジョー・ショウ、ジョージ・アリソンのもとでチームは成功を収めていく。1933-34年、1934-35年、1937-38年にはリーグ優勝を決め、1935-36年にはFAカップで優勝。しかし第二次世界大戦が始まり、イングランドのプロサッカーリーグは活動中止を余儀なくされる。

戦後、アーセナルはジョージ・アリソン監督のもとで再び勢いを盛り返し、トム・ウィッタカー監督時代には1947-48年、1949-50年両シーズンでのリーグ優勝と1949-50年のFAカップ優勝を果たしている。しかしその後低迷期を迎え、1950-1960年代は優勝から遠ざかり、トッププレーヤーの獲得にも至らなかった。元イングランド監督のビリー・ライトがチーム復活のために新監督として起用(1962-66)されたものの、その間の成績はふるわず、優勝杯を手にすることはなかった。

1966年、アーセナルはチームの理学療法士だったバーティー・ミーを監督に起用し、このもくろみが功を奏した。最初の2シーズン(1967-68、1968-69)のリーグカップ決勝戦では負けを期するも、1969-70年には初めてのヨーロッパ優勝杯である<a href=link to UEFA Cup page>フェアーズ・カップ</a>を手にする。1970-71年には、チームとして史上初のダブル優勝を果たすが、その後の10年間は、3対2でマンチェスター・ユナイテッドを下した1979年のFAカップ決勝戦を除いては、リーグ戦、カップ戦いずれの成績もふるわなかった。

1986年、ダブル優勝に貢献したミッドフィルダー、ジョージ・グレアムを監督に迎えてから、アーセナルはまさに黄金時代に突入。厳しい規律と戦術で知られるグレアムは、最初のシーズンをリーグ優勝で飾り、翌シーズンもシーズン最終戦、アンフィールド・スタジアムでリバプールを2対0で破り、歴史的優勝を遂げた。この出来事はその後書籍化、映画化され話題を呼んだ(ニック・ホーンビー著『Fever Pitch』、映画『Fever Pitch(邦題:ぼくのプレミアライフ)』)。

グレアム監督のもと、1990-91年にはわずか1敗でリーグ優勝、1992-93年にはFAカップ/リーグカップのダブル受賞を果たした。このときは両決勝戦でシェフィールド・ウェンズディを下し、1993-94年にはUEFAカップウィナーズカップ決勝戦でパルマに勝利して二度目のヨーロッパ優勝杯を手にしている。グレアムは1995年、特定選手との契約を交換条件としてエージェントのRune Haugeから金銭を授与していたことが明るみに出て監督を辞任。ブルース・リオッホが後任となったが、役員陣の中ではすでに次の監督が候補に挙がっていたため、わずか1シーズンで終了した。リオッホは目立った成績は残さなかったものの、当時サンプドリアに所属していた元イングランド代表のデビッド・プラットや、インテル所属のオランダ人天才プレイヤー、デニス・ベルカンプをチームに引き入れた功績が高く評価されている。アーセナルに数々の成功をもたらした両選手はいまなお伝説の存在となっている。

リオッホの後任が当時はまだ知名度の低かったアーセン・ベンゲルである。イングランドのメディアでは知られた存在ではなかったベンゲルだが、自身の戦術をフルに生かしたトレーニング方法と魅力的なパスワーク展開でゴールを量産するスタイルで、イングランドのサッカー界に新風を巻き起こす。知名度は低くとも非常に才能のある外国人選手(主にフランス人)を多く起用し、1997-98年には監督として初のダブル優勝を遂げた。

2001-02年にも再度ダブル優勝を果たし、2003-04年のシーズンでは無敗優勝。“Invincible(無敵)”と称されたアーナルは、3シーズンにわたって連続無失点試合数49という記録を樹立した。ベンゲルは3度のリーグ優勝のほかに、FAカップ優勝4回、UEFAカップ優勝、そして初のチャンピオンズリーグ決勝戦進出をもたらす。ベンゲル監督下での過去10シーズンにおいて、アーセナルが上位2位内でリーグを終了したのは8回。しかしいまだリーグ連続優勝の経験はない。

ベンゲル監督はアーセナルの下部組織や新トレーニング場の創設においても大きな役割を果たしている。また、古巣のハルバリー・スタジアム(収容数38000人)からアッシュバートン・グローブにある6万人収容のエミレーツ・スタジアムへと拠点を移した際も、同監督の助言があったといわれている。

当初は大変な負債を背負ったものの、優れた経営管理による低コストの実現やチケット販売収益の増加でクラブの持ち直しに成功。現在スタジアムは連日満席に近い状態であり、ベンゲル監督が作り上げた若手集団により、クラブは復活の道を突き進んでいる。


現所属メンバー

ティエリ・アンリがバルセロナに移籍し、ビッグネームの選手獲得にも失敗した2007-2008年のアーセナルに対し、専門家からは「5位以内でリーグを終了することも困難だろう」といった厳しい声が聞かれた。しかし、その予測は見事に裏切られることとなる。アンリの移籍が逆に若い選手たちを刺激し、2003-2004年以降最高といわれる結果をチームにもたらした。

ガナーズ伝説のプレイヤー、パトリック・ヴィエラは「好結果を生み出してきたこの9年間の 中でも、特に優れたサッカーをしている」と2007/08年のシーズンを振り返る。セスク・ファブレガス、アレクサンドル・フレブ、トマーシュ・ロシツキーといったミッドフィルダーや、エドゥアルド・ダ・シルヴァ、ロビン・ファン・ペルシ、エマニュエル・アデバヨールなどのストライカーたちが世界中のアーセナル・ファンを魅了。現在、所属選手の平均年齢は25歳。チームが持つ可能性は計り知れない。

セスク・ファブレガス

世界的にも最も才能のある若きミッドフィルダーの一人と評価される選手。20歳という若さながらアーセナル、スペイン代表の両チームで中心的役割を担う。すでに伝説のサッカー選手となりつつあるセスクだが、年を追うごとに成長を続け、今季においてもゴール数を増やし続けている。

ウィリアム・ギャラス

アーセナルの新キャプテン。岩のように強靭な肉体を持つディフェンダーとして、ボールを自在かつ堅実に操る。フランス代表チームではセンターハーフとして活躍。チェルシーから移籍した最初のシーズンはふるわなかったものの、現在はチームの牽引役としてこの若き集団を勝利の道へ導こうと闘志を燃やしている。

ガエル・クリシー

Invincible (無敵)のアーセナルにわずか17歳でデビューし、神童とうたわれたクリシーは、その後重大な怪我に見舞われたが、ここ2年の間でプレミアリーグにおける最高のレフトバックに成長。22歳という若さながら、フランス代表のレフトバックとして活躍する日もそう遠くなさそうだ。

ロビン・ファン・ペルシ

オランダ代表としても活躍する、最も優れた左足を持つ選手。アーセナルにおける短いキャリアの中でもすでにいくつかの伝説的なゴールを生み出している。怪我に悩まされ続けている一方、ひとたびフィールドに立てば、プレミアリーグの中で最も恐るべきアタッカーの一人となる。

エマニュエル・アデバヨール

長身、機動力と技術力に優れたトーゴ出身の国際的選手。近年めまぐるしい成長を遂げており、他チームのディフェンダーからも「最もタフな相手」として一番に名前が挙がるほどだ。弱冠24歳、今後のさらなる活躍が期待されている。


クラブの伝説的プレーヤー

ティエリ・アンリ

デニス・ベルカンプ

イアン・ライト

トニー・アダムス

パトリック・ヴィエラ

ロベール・ピレス

クリフ・バスティン

アレックス・ジェームス

フランク・マクリントック

デビッド・オレアリー

デビット・シーマン

リアム・ブレディ

デビッド・プラット

チャーリー・ジョージ

ニコラス・アネルカ

アシュリー・コール

フレドリック・ユングベリ

アンデルス・リンパル


最多出場選手

デビッド・オレアリー – 722試合 (リーグ戦558試合) - 1975-93

最多得点選手

ティエリ・アンリ– 369試合中226ゴール – 2000-07


プレーヤーの表彰と賞

  • PFA(プロサッカー選手協会)年間最優秀選手賞
    • 1969 – リアム・ブレディ
    • 1998 – デニス・ベルカンプ
    • 2003 – ティエリ・アンリ
    • 2004 –ティエリ・アンリ
    • 2006 –ティエリ・アンリ
  • FWA(サッカーライター協会)年間最優秀選手賞
    • 1950 – ジョー・マーサー
    • 1971 – フランク・マクリントック
    • 1998 – デニス・ベルカンプ
    • 2002 – ロベール・ピレス
    • 2003 – ティエリ・アンリ
    • 2004 – ティエリ・アンリ
    • 2006 – ティエリ・アンリ


チームタイトル

  • ファースト・ディビジョン/プレミアリーグ
    • 優勝13回 : 1930–31、1932–33、1933–34、1934–35、1937–38、1947–48、1952–53、1970–71、1988–89、1990–91、1997–98、2001–02、2003–04
    • 準優勝8回: 1925–26、1931–32、1972–73、1998–99、1999–2000、2000–01、2002–03、2004–05


組織

株所有権に関するシステムは非常にユニークで、発行されている株券はわずか62217。役員が全体の45%を保有し、実権を握っている。

  • 経営陣 (株式保有率):
    • 会長 – ピーター・ヒルウッド (0.8%)
    • 常務 – キース・エデルマン
    • その他の役員:
        • ダニー・フィッツマン(24.1%)
        • ケン・フライアー
        • Nina Bracewell-Smithニナ・ブレイスウェル-スミス (15.9%)
        • リチャード・カー (4.4%)


アーセナル株の大量売買をめぐり、チーム買収に関する様々な噂が飛び交っている。首謀者とされるのが12.2%の株式を保有するアメリカ人大富豪のスタン・クロエンケと、元副会長のデビッド・デイン、そして「レッド&ホワイト・ホールディングス社」を設立し23%の株式を取得したアリシェル・ウスマノフとファーラド・モシリだ。


スタッフ

  • アーセン・ベンゲル – 監督
  • ボロ・プリモラツ – 第一コーチ
  • パット・ライス – アシスタント・マネージャー


ユニフォーム

http://www.kitclassics.co.uk/kits/arsenal.gif


スタジアム

アーセナルの現在の本拠地は、ロンドン北部のアッシュバートン・グローブにある6万人収容のスタジアム。本拠地の移転は1999年に決定され、2006年に新スタジアムが完成した。巨大なファン組織を有するアーセナルの前ホームスタジアム(ハイバリー・スタジアム)の収容人数は38419人。建物の老朽化なども懸念される中、新スタジアム建設は必要不可欠の課題となっていた。ボードメンバーの多大なる努力が実り、アーセナルは同市にとどまり、ハイバリー・スタジアムからわずか10分のところに新スタジアムが建設されることとなる。スタジアム建設にアーセナルは4億ポンドを費やした(うち2.6億ポンドは負債)。アーセナルは2006-07年、アストン・ビラを相手に初の公式戦が行い、結果は1対1の引き分けに終わった。


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現在のユニフォーム、およびホームスタジアムのスポンサーとなっているのが、アラブ首長国連邦のドバイを拠点とする航空会社、エミレーツ航空である。エミレーツはイングランドサッカーの歴史上最高額となるスポンサー料、100万ポンドを支払い、2012年までのスタジアム命名権を取得。さらに2013-14年までのユニフォームスポンサーにもなっている。

http://www.flyemirates.com/japan/jp/


ライバルチーム

トッテナム・ホットスパー

同地域に本拠地を置くライバルチーム。アーセナルがロンドン南部からトッテナムの本拠地である<a href=link to White Hart Lane stadium page>ホワイト・ハート・レーン</a>の近く、ハイバリー・スタジアムへ移動してきた時から両者のライバル関係は始まり、さらに1919年にトッテナムが自費でファースト・ディビジョンにアーセナルを呼び入れたことで競争が激化。また、2005-06年にはシーズン最終日にトッテナムがアーセナルに破れてチャンピンオンズリーグ出場を逃している。アーセナルが様々な国からの移民を多くファンに持つ一方で、トッテナムは主に白人富裕層に支持された歴史を持つなど、両チームを支えるファン層にも大きな違いがみられる。しかし1961年以降、トッテナムはリーグ優勝経験がない。過去20試合においてもアーセナルに敗北し続けており、プレミアリーグでも上位4位以内に入ったことがないなど、力の差は歴然としている。

チェルシー

トッテナム同様本拠地を同じくするチームだが、獲得タイトルや所属選手においてよりライバル視されている。ロマン・アブラモビッチ・チームオーナーのもと、ジョゼ・モウリーニョが監督を務めた時代、チェルシーは非常に攻撃的かつ強気な移籍交渉を行う組織として有名となり、その一つとして知られるのがアーセナルのスター選手であったアシュリー・コールに対して行われた移籍交渉である。結局コールはシーズン後チェルシーに移籍し、アーセナル・ファンからは未だにブーイングが絶えない存在となっている。また、ジョゼ・モウリーニョのアーセン・ベンゲル監督に対するコメントや非難も、このライバル関係を助長させる要因となった。

マンチェスター・ユナイテッド

1997年から2004年に至るまで、プレミアリーグ優勝の栄冠は常にアーセナルとマンチェスター・ユナイテッドのいずれかが手にしてきており、両チームはリーグ戦において常に熾烈な戦いを繰り広げている。両チームの監督を務めるアーセン・ベンゲル、サー・アレックス・ファーガソンが共に頭脳戦やピッチ外での舌戦で知られる一方、パトリック・ヴィエラやロイ・キーンといった強靭なフィジカルを誇るチームの守護神によって、両者の戦いはさらに激烈なものとなった。両チームはこれまでに1990年10月と2003年9月の2回にわたりフィールド上で取っ組み合いの喧嘩を繰り広げた経験があり、そのいずれの年もアーセナルがリーグ優勝を果たしている。1990-91年のシーズンではこの騒動によって2ポイントのペナルティーが与えられたにも関わらずわずか1敗で優勝し、2003-04年は無敗優勝を果たした。


外部リンク

http://www.arsenal.com

http://www.premierleague.com

http://www.arsenal.com/membership

http://www.arsenal.com/emiratesstadium

http://www.visitlondon.com



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