1980/03/21
ロナウド・デ・アシス・モレイラ
ブラジル、ポルト・アレグレ
181cm
80 Kg
攻撃的ミッドフィールダー、セカンドストライカー
ロナウジーニョ、ロニー、ガウショ
なし
スペイン・バルセロナ
クラブ/チーム
FCバルセロナ(2003-)
パリ・サンジェルマン(2001-2003) グレミオ (1998-2001)
ブラジル代表
グレミオ
出来事と背景
目次 |
ロナウジーニョ
ロナウジーニョがバルセロナに移籍した当時、彼の位置づけは「スター選手」というよりは「才能のある良い選手」というものだった。彼はバルサの監督であるフランク・ライカールトと良い関係を築き、サミュエル・エトーという素晴らしいチームメイトにも出会う。その後の活躍は誰もが知るところである。
彼はグレミオ時代から常に家族と行動を共にしており、パリ・サンジェルマンに移籍した際も家族共々パリに移住した。実の兄は彼の代理人を務め、姉は広報を担当している。 最高とはいいがたい現在の状況においても家族のサポートは大きい。昨年のチームでの低迷ぶりを揶揄して“Barça fiasco(バルサの大失敗)”とのレッテルを貼るメディアもあり、今後の去就が注目されている。
経歴
ロナウジーニョの生まれ故郷はブラジルのポルト・アレグレである。父親は造船所労働者、母親は看護婦として働いていた。父親はロナウジーニョが9歳のときに他界。以来、サッカーボールが一番の友達となった。彼の実兄のロベルトは優れたサッカー選手で、度重なる怪我で退団を決意するまではグレミオに所属していた。一方でイタリアのトリノもロベルトに興味を示していた。
ロナウジーニョがプロサッカー選手としての道を目指そうと決めたのには、兄の影響が大きかったといわれている。
クラブ
グレミオ
1998年にトップチーム入りを果たすまで、ロナウジーニョはグレミオのユースチームに所属していた。入団当初から優れたボールコントールと華麗なドリブルさばきをみせて周囲を圧倒させたが、監督はまだ彼の実力を測りきれずにいた。デビュー戦は南米最強クラブを決定するカップ戦、コパ・リペルタドーレス。サポーターはロナウジーニョをスタメンに入れるよう監督に直訴。その後の活躍により1999年にはサッカーブラジル代表のメンバーにも選出された。
2000年、ロナウジーニョの活躍は目覚ましく、これがブラジルのサッカークラブでの最後の年となる。ヨーロッパのクラブがこぞって彼の獲得に乗り出しており、すでにヨーロッパへの移籍は避けられない状況となっていた。
パリ・サンジェルマン
2001年の半ば、パリ・サンジェルマンはロナウジーニョの加入を発表。このフランスのクラブはアーセナルとの間で繰り広げられたロナウジーニョ獲得合戦に勝利したのである。パリ・サンジェルマンでの最初の年、ロナウジーニョは監督のルイス・フェルナンデスから「チームの成長に協力していない」と非難される。監督はロナウジーニョの夜遊びについても苦言を呈した。サポーターは、ビッグクラブとの対戦では優れたパフォーマンスをみせるが、格下チームとの試合ではそれほどの活躍をみせないことに批判的だった。この当時、ブラジル人選手とフランスのクラブとの関係はあまり良いものではなかった。
翌年の2002年ワールドカップ日韓共催終了後、パリ・サンジェルマンがリーグ成績11位とふるわず、ヨーロッパの大会への出場資格も得られなかったことなどから、ロナウジーニョに再び移籍話が持ち上がる。
バルセロナとマンチェスター・ユナイテッドが名乗りを上げたが、バルセロナはより高い移籍金を提示。ロナウジーニョと兄で代理人のロベルトはその話を受け、パリ・サンジェルマンからバルセロナへの移籍が決定する。
バルセロナ
2003年、ロナウジーニョはバルセロナとの契約を結ぶ。ラポルタ会長が獲得を公約していたデビッド・ベッカムはレアル・マドリードへの移籍が確定してしまったため、ナイキ社の手助けを得て、バルセロナは新しいブラジル人スター選手との契約を決めたのである。
最初のシーズン、ロナウジーニョは重大な怪我に見舞われ、試合欠場を余儀なくされた。しかし復帰後はチームの一員として奇跡的な活躍ぶりをみせ、バルセロナはバレンシアに次いでリーグ2位の成績を残した。
翌シーズン、ロナウジーニョはエトー、プジョール、シャビとともに最高のフォーメーションを確立し、リーグ優勝を果たす。一方、チャンピオンズリーグにおいては決勝トーナメント1回戦でチェルシーに敗北している。この年、ロナウジーニョはアンリやシェフチェンコを退けてFIFA年間最優秀選手賞を受賞した。
2005/06シーズン、バルセロナはチャンピオンズリーグのタイトル奪回に乗り出す。ロナウジーニョが中心となり、パリでアーセナルを2-1で破り見事2度目となるチャンピオンズリーグ優勝を達成。国内リーグにおいても、ベルナベウスタジアムで行われたレアルマドリードとの対戦でロナウジーニョが歴史的な2ゴールを決め、再び優勝を遂げている。この時はさすがのレアル・マドリードサポーターも、スタンディングオベーションをして彼の活躍に敬意を表している。
この年はまさに「ロナウジーニョの年」であった。彼は再びFIFA年間最優秀選手賞に輝き、FIFPro最優秀選手賞も獲得、さらにFIFProベストイレブンにも選ばれている。また、ブラジル人選手としては3人目となるバロンドールと、2004/05シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ最優秀ストライカー賞を受賞し、2005年のUEFA年間最優秀チーム賞の栄誉にも輝いた。
2006/2007シーズンは、ロナウジーニョにとってもバルセロナにとってもあまり良い年ではなかった。国内リーグではレアル・マドリードが優勝を果たし、バルセロナはロナウジーニョをはじめとする選手の怪我に悩まされ、チャンピオンズリーグでの優勝も逃した。バルセロナは日本で開催されたFIFAクラブワールドカップでも、インテルナシオナルに決勝戦で敗れている。各メディアは、バルセロナの不振はロナウジーニョにその責任があるとまくしたてた。
そして今シーズン、ロナウジーニョは11人のスタメンにすら入っていない状況が続いている。ロナウジーニョもバルセロナからの退団を望んでおり、クラブ自体も他チームへの移籍に同意している。
代表
ブラジル
ロナウジーニョはU15、U17、U20、U23、A代表のすべての段階でサッカーブラジル代表のメンバーに選ばれた経験を持つ、ブラジル人サッカー選手の中でも数少ないプレーヤーの一人である。 ロナウジーニョは、1997年にエジプトで開催されたU17FIFAワールドチャンピオンシップにも出場し、優勝を収めている。また、1999年にナイジェリアで行われたFIFAワールドユースチャンピオンシップにも同国代表メンバーの一人として出場した。
彼のブラジルA代表デビューは1999年6月。ラトビアを相手に3-0で快勝した。
さらにロナウジーニョは1999年にパラグアイで開かれたコパ・アメリカに出場。ベネズエラを相手にゴールを決め、ブラジルが優勝杯を手にした。
その年、ロナウジーニョはコンフェデレーションズカップにも出場し、トーナメントにおける最優秀選手に選ばれ、得点王にも輝いた。しかし、ブラジルは決勝戦でメキシコに4-3で破れている。
2002年のワールドカップでは、ロナウジーニョはリバウド、ロナウドとともに最強トリオ「3R」を築き、ブラジル優勝の立役者となった。大会中ロナウジーニョは2ゴールを決め、メディアはこぞって、大会の最優秀選手にロナウジーニョを挙げた。ロナウジーニョの日本と韓国における活躍ぶりが彼をスターダムへと押し上げていったのである。
2005年のコンフェデレーションズカップで、ロナウジーニョは主将を務める。アルゼンチンを相手に迎えた決勝戦では大活躍をみせ、ブラジルは4-1の大差で勝利をもぎとった。
一方、2006年のワールドカップはロナウジーニョにとって最悪の大会であったといえる。決勝トーナメントの準々決勝でブラジルはフランスに破れ、特にロナウジーニョとロナウドに対してサポーターやメディアからの非難が集中。ブラジルのチャペコにあるロナウジーニョの銅像がサポーターによって破壊される事件も起きた。
現在のサッカーブラジル代表の監督はドゥンガである。ロナウジーニョは2007年にベネズエラで開催されたコパ・アメリカの出場メンバーには選ばれなかったが、先日のワールドカップ予選では代表メンバーとして招集されている。
国際試合での得点
| 年月日 | 対戦相手国 | 大会名 |
|---|---|---|
| 2004年8月18日 | ハイチ | フレンドリーマッチ |
| 2002年6月21日 | イングランド | ワールドカップ |
| 2007年8月22日 | アルジェリア | フレンドリーマッチ |
| 2007年3月24日 | チリ | フレンドリーマッチ |
| 2007年10月17日 | エクアドル | ワールドカップ予選 |
| 2007年9月9日 | アメリカ | フレンドリーマッチ |
| 2005年6月1日 | 日本 | コンフェデレーションズ・カップ |
| 2005年6月29日 | アルゼンチン | コンフェデレーションズ・カップ |
チームタイトル
- グレミオ
- リオ・グランデ・ド・スル州チャンピオンシップ優勝: 1999
- リオ・グランデ・ド・スル州選手権優勝: 1999
- パリ・サンジェルマン
- UEFAインタートトカップ優勝: 2001
- バルセロナ
- リーガ・エスパニョーラ優勝: 2005、 2006
- スペイン・スーパーカップ優勝: 2005、 2006
- UEFAチャンピオンズリーグ優勝: 2006
- FIFAクラブワールドカップ準優勝: 2006
- ブラジル代表
- FIFA U-17ワールドカップ優勝: 1997
- コパ・アメリカ優勝: 1999
- FIFAワールドカップ優勝: 2002
- コンフェデレーションズカップ優勝: 2005
個人タイトル
- ペレが選んだ偉大なサッカー選手100人「FIFA 100」: 2004.
- FIFA最優秀選手賞: 2004、 2005
- ワールドサッカー誌年間最優秀選手賞: 2004、 2005
- バロンドール: 2005
- FIFPro 最優秀選手賞 2005、 2006
- FIFPro 年間ベストイレブン: 2005、 2006、 2007
- UEFA チャンピオンズリーグMVP: 2005-06
- UEFA 最優秀フォワード賞: 2004-05
- UEFA 年間最優秀チーム賞: 2004、 2005、 2006
- リーガ・エスパニョーラ最優秀外国人選手賞: 2004、 2006
- EFEトロフィー: リーガ・エスパニョーラ最優秀南米選手賞: 2004
- FIFA ワールドカップ 2002 オールスターチーム: 2002
- FIFA クラブワールドカップ・ブロンズボール賞: 2006
- FIFA コンフェデレーションズカップ得点王: 1999
- FIFA コンフェデレーションズカップMVP: 1999
- リオ・グランデ・ド・スル州チャンピオンシップ得点王: 1999
| 前回受賞者 | タイトル | 年 | 翌年の受賞者 |
|---|---|---|---|
| ジネディーヌ・ジダン | FIFA 最優秀選手賞 | 2004、 2005 | ファビオ・カンナヴァーロ |
| パベル・ネドベド | ワールドサッカー誌年間最優秀選手賞 | 2004、 2005 | ファビオ・カンナヴァーロ |
| アンドリー・シェフチェンコ | バロンドール | 2005 | ファビオ・カンナヴァーロ |
| 存在せず | FIFPro 最優秀選手賞 | 2005、 2006 | カカ |
| スティーブン・ジェラード | UEFAチャンピオンズリーグMVP | 2005-06 | カカ |
個人成績
| チーム | シーズン | 国内リーグ | 国内カップ戦 | 国際試合 | 通算 | ||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| M | G | A | M | G | A | M | G | A | M | G | A | ||
| グレミオ | 1998-99 | 5 | - | 5 | |||||||||
| 1999-00 | 19 | 6 | 19 | 6 | |||||||||
| 2000-01 | 11 | 8 | 11 | 8 | |||||||||
| 通算 | 35 | 14 | 35 | 14 | |||||||||
| PSG | 2001-02 | 25 | 8 | 3 | 2 | 28 | 10 | ||||||
| 2002-03 | 28 | 9 | 4 | 1 | 32 | 10 | |||||||
| 通算 | 53 | 17 | 7 | 3 | 60 | 20 | |||||||
| バルセロナ | 2003-04 | 33 | 15 | 4 | 1 | 40 | 19 | ||||||
| 2004-05 | 33 | 9 | 7 | 4 | 42 | 13 | |||||||
| 2005-06 | 29 | 17 | 12 | 7 | 42 | 24 | |||||||
| 2006-07 | 35 | 21 | 4 | 0 | 8 | 2 | 47 | 23 | |||||
| 2007-08 | 10 | 6 | 4 | 1 | 14 | 7 | |||||||
| 通算 | 142 | 68 | 4 | 0 | 35 | 15 | 181 | 85 | |||||
| 総通算成績 | 230 | 99 | 4 | 0 | 42 | 18 | 276 | 117 | |||||
M=試合数、G=ゴール数、A=アシスト
個人情報
- 憧れの人(サッカー関連): 兄のロベルトとヴァルド、リバウド、リベリオ、ジーコ、ディエゴ・マラドーナ、ロマーリオ、ロナウド
- 憧れの人(その他のスポーツ選手): マイケル・ジョーダン
- 趣味: サッカー、音楽鑑賞、読書、歌うこと、ダンス、パーカッションなど。自宅にカラオケセットを持っている
- 好きなテレビゲーム: プレイステーション2のPro Evolution Soccer (コナミのウイニングイレブン)
- 好きな食べ物: シュラスコ(ブラジルのバーベキュー料理)
- 好きなお菓子: 飴、チョコレート
- 一番会いたい人: マイケル・ジョーダン
- 好きな音楽のジャンル: サンバとパゴデ。英語の勉強のために英語詩の曲を聴くことも多い
- 出演してみたい映画: コメディー映画(冗談を言って人を笑わせるのが好きなため)
- 尊敬する人: 家族、ファン
- 宗教: カソリック
- 好きな服: ジーパンとシャツ
- 座右の銘: “Vencer, sempre vencer(勝ち続ける)”
- 好きな場所: バルセロナ(ブラジルとの共通点が多いため)
- サッカー以外の好きなスポーツ: バスケットボール
プライベート
ロナウジーニョは現在バルセロナに在住し、この街をこよなく愛しているが、休暇ができると必ずブラジルに帰国している。コーチを含む周囲の人々すべてにロナウジーニョのパーティー好きは知られている。ダンスをしにクラブに行くことも多く、パパラッチの標的となっている。バルセロナやポルト・アレグレの自宅でパーティーを企画することも多い。FCバルセロナにとってこれは頭の痛い問題であり、クラブはプロとしての自覚を持ってもらいたいと、ロナウジーニョにマニュアル本を渡したともいわれている。
2006年のFIFAワールドカップ開催中には、フランス人モデルのアレクサンドリア・パレサントとのデートが目撃されたが、本人はこれを否定している。
ロナウジーニョには現在、公式に認められた恋人はおらず、結婚の経験もないが、息子が一人いる。ジョアンと名付けられたロナウジーニョの息子は2005年2月25日生まれ。ジョアンの母親、ジャナイーナはブラジルのTVショーに出演していた元ダンサーである。
2008年、ジョアンはバルセロナに移住し、現在は父親と祖母と一緒に暮らしている。
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外部リンク
- http://www.ronaldinhogaucho.com/
- http://www.fcbarcelona.com/web/english/futbol/temporada_07-08/plantilla/jugadors/ronaldinho.html
参照サイト
- http://en.wikipedia.org/wiki/Ronaldinho
- http://ronaldinho-uk.com/component/option、com_frontpage/Itemid、1/
- http://www.1ronaldinho.com/
- http://ronnie100.skyrock.com/
- http://www.infobae.com

