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生年月日:

1984/01/25

フルネーム:

ロブソン・デ・ソウザ

出身地:

ブラジル・サンパウロ

身長:

172cm

体重:

63kg

ポジション:

フォワード/ミッドフィールダー

ニックネーム:

ロビーニョ

妻/彼女:

Vivian Guglielmetti

居住地:

スペイン、ブラジル

クラブ/チーム

現在の所属クラブ:

レアル・マドリード

以前の所属クラブ:

サントスFC(2002-2005)
レアル・マドリード(2005-現在)

ナショナルチーム:

ブラジル

ユースクラブチーム:

Beira-Mar
Portuarios
サントスFC

出来事と背景

目次

ロビーニョ

ロビーニョの愛称で知られるロブソン・デ・ソウザは、世界有数のスーパーストライカーの一人。その小柄な体型を持ち前の瞬発力や攻撃力、高いドリブル技術などでカバーしている。その実力は9歳のときから折り紙付きで、地元のインドアサッカーチーム、Portuarios在籍中は73ゴールを挙げるという快挙を成し遂げた。プロとしてのキャリアをスタートさせたサントスFCでは2002年にチームをブラジル全国選手権優勝に導く。2004年には45試合出場25得点という驚異的な記録を達成。2007年に代表メンバーとしてコパ・アメリカに出場した際は、最多得点選手となっただけでなく、大会最優秀選手にも選ばれた。大会中通算6ゴールを決め、決勝ではアルゼンチン代表を倒しブラジルが優勝杯を手にしている。

インドアサッカーチームで頭角をあらわした9歳のころから、すでに「ペレの再来」との呼び声も高かったロビーニョ。事実、ロビーニョをサントスFCユースチームに紹介したのは他ならぬペレ自身であった。ペレはその頃、ロビーニョの小柄な身体を懸念して、成長を促進させるためのプロテインや炭水化物を積極的に摂らせるようにしたともいわれている。2002年、ロビーニョはサントスのトップチームと ブラジル代表でのデビューを果たす。いずれもペレがかつて活躍したチームであり、自らもロビーニョのことを「後継者」と明言した。


経歴

ロビーニョ(小さなロブソンの意)ことロブソン・デ・ソウザ(1984年1月25日-)は、ブラジル・サンパウロ州サン・ヴィセンテ生まれの24歳。6歳で地元のユース、Beira-Marに加入するとまもなくその類いまれな才能に注目が集まり、数々のクラブからスカウトを受ける。1993年、9歳でインドアサッカーチームのPortuariosに加入し、通算73ゴールを挙げるという快挙を成し遂げる。その後サントスFCのユースに入団してさらに頭角をあらわし、メディアからは「ペレの再来」と騒ぎ立てられた。18歳でサントスFCのトップチームデビューを果たし、3年間の在籍中、二度のリーグ制覇を果たした。2005年にはイタリアの巨大クラブ、レアル・マドリードに移籍した。


クラブ

サントスFC
2002-2003: プロサッカー選手としてロビーニョは最高のスタートを切る。最初のシーズン、ロビーニョは24試合に出場して9得点を挙げ、チームメイトのディエゴらとともにクラブをブラジル全国選手権優勝に導いた。

2004: ロビーニョの快進撃はその後も続き、2004年のシーズンには37試合出場21得点という記録を残す。中心選手として活躍したディエゴとレナートがそれぞれFCポルトとセビージャに移籍してしまった後も、ロビーニョはチームの核として大活躍し、サントスは二度目のブラジル全国選手権制覇を果たす。そのころにはブラジルでの活躍に目をつけたヨーロッパの強豪チームから、獲得を希望する声が殺到した。


レアル・マドリード
2005: プロとしてのキャリアをスタートさせたサントスから、イタリアの巨大クラブ、レアル・マドリードへの移籍を果たしたロビーニョ(移籍金は3100万ユーロ)。初シーズンには37試合出場8得点を記録し、クラブのリーグ準優勝に一役買った。しかしUEFA主催の大会では思ったような成果を上げることができず、ゴールレスに終わった。

2006/2007: 2006年W杯での活躍などからスタメンでの出場が確実視されていたが、新監督ファビオ・カペッロはロビーニョをサイドハーフの控え選手として起用。しかしその後、両者の間で戦術やフォーメーションに関する話し合いが行われ、カペッロ監督はロビーニョにとってより実力を発揮できるポジションで起用するようになる。これによりゴールを決める機会も増え、シーズン通算では20試合に出場、6得点を挙げた。


代表

ブラジル
代表デビュー戦は2003年に開催された CONCACAF ゴールドカップであり、この大会でブラジルは決勝に進出したものの、ライバルのメキシコに1-0で破れ準優勝に甘んじた。ロビーニョはこの大会では特に目立った印象を残すことはなかった。

二度目の出場となったのは2006年のFIFA ドイツW杯。この大会では控え選手として試合に出場した。唯一スターティングメンバーとして出場したのは、グループリーグ最終戦の対日本戦であった。大会を通してロビーニョがゴールを決めることはなかった。

代表として最も華々しい活躍をみせたのが、2007年のコパ・アメリカである。ロビーニョはこの大会でゴールデンブーツ賞を受賞している。グループB初戦のチリ戦ではハットトリック(うち一つはPK)を決め、ブラジルが3-0で勝利を収める。次のグループステージではエクアドルと対戦し、唯一の得点となった1点をロビーニョが決め、ブラジルが勝利をもぎとった。通算ゴール数は6となり、ロビーニョはこの大会の最多得点選手となった。


国際試合でのゴール

日時 チーム 大会 ゴール数
    コンフェデレーションズ・カップ 2
FIFAワールドカップ 0
コパ・アメリカ 6


チームタイトル

  • サントス
    • ブラジル全国選手権: 2002, 2004
  • ブラジル代表
    • CONCACAFゴールドカップ(準優勝): 2003
    • コパ・アメリカ: 2007


個人タイトル

前回の受賞者 翌年の受賞者
-- コパ・アメリカ・ゴールデンブーツ賞 2007 --


個人成績

チーム シーズン 国内リーグ 国内カップ戦 国際試合 合計
M G A M G A M G A M G A
サントス 2002 247
2003 4613
2004 4525
2005 2013
合計 13558
レアル・マドリード 2005-06 5112
2006-07 408
2007-08 2112
合計 10627
通算成績 24585

M = 試合数, G = ゴール数, A = アシスト数


プライベート

ロビーニョはオフを家族の大部分が住むブラジルとクラブの本拠地であるマドリードの2カ所で過ごすことが多い。婚約したとも噂される恋人との間に男の子が生まれたこともあり、家族で過ごす時間を大切にしている。息子が生まれた後は、ゴールを決めた後に指をくわえるパフォーマンスを行うようになった。また、母親思いの性格でも知られ、オフには度々母親の住むブラジルを訪れている。

2004年にはその母親が誘拐されるという事件が発生。2カ月間にわたって犯人に拘束され、一時は犯人らによって殺されたという噂も流れた。しかしその後、無事解放されている。ロビーニョは身代金として多額のお金を犯人側に渡したともいわれている。


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外部リンク


参照サイト

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