ACミラン
ロッソ・ネロ、ロッソ・ネリ、ディアボロ
1899年
サン・シーロ
カルロ・アンチェロッティ
セリエA
歴史と出来事
目次 |
ACミラン
1899年に創設されたACミランは国内、国外のいずれでも知名度の高いヨーロッパ屈指のクラブ。ロンバルディ地方のミランを本拠地とし、イタリアのトップリーグ、セリエAに所属している。ほぼすべての大会で優勝を収めており、ジャンニ・リベラやパオロ・マルディーニといったスタープレーヤーを数多く輩出してきた。UEFAチャンピオンズリーグ優勝回数は7回で、レアル・マドリードに次いで2位となっている。国際タイトルの総計は18で、これは世界中のクラブの中でトップとなっている。ホームスタジアムはミラノのサン・シーロ。スタジアムを共用するライバルチーム、インテルとは毎年「ミラノダービー」と呼ばれる直接対決が行われる。ACミランは世界で3番目に多いファン数を誇るクラブであり、その実力も世界トップレベルといわれる。
歴史
ACミランの創設は1899年12月16日。キルピン、アリソン、デイヴィスという3人のイングランド人にアイディアを持ち込まれたミラノ在住のイングランド人、アルフレッド・エドワーズが中心となって「ミラン・クリケット・アンド・フットボール・クラブ」が作られた。初代会長はアルフレッド・エドワーズ。1938年にクラブ名は現在の「アッソチアツィオーネ・カルチョ・ミラン」に変更されたが、ミランだけは英語のまま残った(イタリア語ではミラノ)。1990年には同じくミラノを本拠地とするクラブ、メディオラヌムとの間で初試合が行われた。1901年には初出場となったリーグ戦で優勝。その実力に伴って人気も急上昇し、1906年と1907年には再びリーグ制覇を果たした。
1908年にはクラブ内に大変動が起こる。当時イタリア出身プレーヤーに支配されていたミラン・クリケット・アンド・フットボールクラブからの分離独立を計った数名のグループが、新たにインテルナツィオナーレ・ミラノを創設。両者の初の直接対決は1908年10月18日、結果はミランが2-1でインテルを下した。この時から今に続くインテルとのライバル関係が始まったといえる。
1916年のリーグ戦は第一次世界大戦勃発のため中止となった。1915/1916シーズンに予定されていたリーグはフェデラル・カップに取って代わられ、この大会でミランは優勝を果たす。戦時中はファシストらの要請によりクラブ名は「ミラノ」と呼ぶよう強制された。
イタリアサッカー新時代の幕開けとなった1920年代。1926年にはACミランのホームスタジアムであるサン・シーロが完成。1929年にはセリエAが発足した。1938年、クラブ名は現在の名称であるAC(アッソチアツィオーネ・カルチョ)ミランに変更された。
クラブが2つに分裂した後、ACミランは長い低迷期を経験し、しばらくはリーグ優勝からも遠ざかっていた。1950年に3位という成績でシーズンを終えたあたりから徐々に復活の兆しが見え始め、1963年のUEFAチャンピオンズリーグでは決勝でベンフィカを破り、悲願の優勝を果たす。1950年代の終わりにはジャンニ・リベラ、ジョゼ・アルタフィーニ、ファン・アルベルト・スキアフィーノがACミランに加入。1968年には再びスクデットを獲得し、ジャンニ・リベラが欧州年間最優秀選手賞を受賞した。さらに1969年には二度目となるチャンピオンズリーグ制覇を果たしたほか、初のインターコンチネンタル・カップ優勝も経験した。
1979年にジャンニ・リベラが引退した後、ACミランは再び暗黒の時代へと突入する。クラブは1980年に起こった八百長スキャンダルにより、セリエBへの降格を余儀なくされる。事件に関与したとされる当時の会長、フェリーチェ・コロンボは永久追放となった。
セリエBに降格した1980-81シーズン、ACミランは18勝を挙げ、50ポイントでセリエB優勝を果たす(アントネッリは得点王に輝いた)。こうしてわずか1年でセリエA返り咲きを果たしたACミランだったが、翌1981-82シーズンはわずか7勝という成績で14位に甘んじ、再びセリエBへ降格となった。
1986年にはシルヴィオ・ベルルスコーニがクラブを買収して会長に就任。ベルルスコーニは有力選手を次々と加入させ、クラブの立て直しを図った。また、後に革命を起こすことになるアリゴ・サッキをパルマFCから監督として招き入れた。ベルルスコーニはマルコ・ファン・バステン、ルート・フリット、フランク・ライカールトというオランダのスーパープレーヤーを獲得。ACミランの黄金期が幕を開けることとなった。合計7つの欧州タイトル、二度のインターコンチネンタル・カップ制覇、5回にのぼるUEFAチャンピオンズリーグ制覇は他のクラブを圧倒する記録である。1991年には新監督に元ACミランの所属選手であったファビオ・カペッロを起用。カペッロの指揮のもと、クラブはセリエAでの無敗優勝を達成し、58連勝という驚異の記録を打ち立てた。 1996年、ACミランは15個目となるスクデットを獲得。この年、カペッロはクラブを離れ、レアル・マドリードの監督に就任。ACミランの新監督にはオスカル・ワシントン・タバレスが選出されたが、同年にはアリゴ・サッキに監督の座を譲ることとなった。
2006年、ACミランは再び八百長スキャンダルに巻き込まれることとなる。ACミランには-15点での2006/2007シーズン国内リーグ戦開始、という処分がくだされたが、その後クラブは上告し、結果-8点でのスタートという判決が下った。いったんは出場権剥奪という処分がくだされたUEFAチャンピオンズリーグにも3位扱いとして出場できることとなる。このような逆境の中でクラブは奮迅の活躍をみせ、決勝の対リバプール戦ではフィリッポ・インザーギが2ゴールを決め、2-1で優勝をもぎ取った。
ライバルチーム
ACミランはユベントス、インテルに続き、イタリア国内で3番目に多いサポーター数を誇るクラブである。ACミランの最大のライバルはインテルであり、両クラブはホームスタジアムとしてサン・シーロ(スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ)を共用している。
インテル・ミラン - ACミランの最大のライバルといえば、同じ都市、同じスタジアムを拠点とするインテルである。イタリアでは両者の直接対決は、ミラノのドゥオモのてっぺんに鎮座するマリア像にちなんで「デルビー・デッラ・マドンニーナ」と呼ばれている。2チームのライバル関係はインテルが1908年に創設されたときから始まった。この直接対決は会場を埋め尽くす両チームのサポーターによる応援や歓声で大いににぎわうイベントの一つであり、しばしば感情的になったサポーターらが問題を起こすこともある。2001年にサン・シーロ・スタジアムで開催された試合では、インテルが6-0で大敗。このときは興奮したインテルサポーターを取り押さえようとした警察官らに対してガラス瓶を投げつけるという暴動が発生した。両チームサポーターのプライドは高く、ダービーは常に勝者の歓喜と敗者の怒りで満ちあふれている。世界的にみても最も有名なダービーの一つである。
現在の所属選手
パオロ・マルディーニ: 現在のACミラン主将。20年以上にわたりACミランのディフェンシブ・ラインを守ってきた。1984年にACミランに加入。2008年には引退の噂も浮上した。これまでにセリエAで7回のスクデットを獲得。クラブのキャプテンとして、ディフェンスの要としてチームになくてはならない存在である。プロデビューから現在に至るまで他のクラブでプレーしたことが一度もないマルディーニは、ACミランの顔ともいえる存在である。
フィリッポ・インザーギ: 2001年にACミランに加入以降、ゴールを量産してきた選手。34歳。すでに75以上のゴールをたたき出している。チャンピオンズリーグにおけるリバプールとの決勝戦では2ゴールを決めて勝利への原動力となった。欧州カップでは63得点を記録しており、これは現在までのカップの歴史における最多得点記録となっている。
アンドレア・ピルロ: 2001年にACミランに移籍。ピルロはこれまでに200試合以上に出場し、30ゴール以上を挙げている。
ジーダ: 2000年に移籍を果たしたACミランの守護神。イタリア語によるコーチングの問題などで2シーズンで古巣のコリンチャンスへ戻されてしまうが、1シーズンもかからないうちにミランに復帰。2002年には正ゴールキーパーの座を与えられ、チャンピオンズリーグ制覇に大きく貢献した。また2003年のチャンピオンズリーグ決勝でも、ユベントスを相手に3本のPKをセーブするという快挙を達成。2003-2004シーズンにはセリエA年間最優秀ゴールキーパー賞を受賞した。しかし、2004−2005シーズンの準々決勝対インテル第2戦で、試合展開に腹を立てたインテルのサポーターが投げた発炎筒がジーダを直撃、これが原因で試合は没収試合となった。これが要因となってか、ジーダはその後致命的なミスや負傷が増え、ついに2007-2008シーズン途中にはカラッチに正GKの座を奪われた。
カフー: 2003年にACミランに移籍。ACミランの強固なディフェンス勢を形成するライトバック。
カカ: 2003年、ACミランに移籍。初出場から現在に至るまでレギュラーの座を保持しつづけているスーパープレーヤー。ゴール数は50以上、2007年にはバロンドールを受賞している。
ロナウド: 世界的に知られるブラジル人選手。2007年にACミランに加入。2008年3月現在、20試合に出場し9ゴールを挙げている。
パト: 1989年生まれの18歳。2007年にACミランに加入。これまでに7ゴールを挙げている。
クラブの伝説的プレーヤー
パオロ・マルディーニ: 現在のACミラン主将。20年以上にわたりACミランのディフェンシブ・ラインを守ってきた。1984年にACミランに加入。2008年には引退の噂も浮上した。これまでにセリエAで7回のスクデットを獲得。クラブのキャプテンとして、ディフェンスの要としてチームになくてはならない存在である。プロデビューから現在に至るまで他のクラブでプレーしたことが一度もないマルディーニは、ACミランの顔ともいえる存在である。
最多出場選手
| 順位 | 選手 | 現役期間 | # 出場 |
|---|---|---|---|
| 1 | パオロ・マルディーニ | 847 | |
| 2 | フランコ・バレージ | 719 | |
| 3 | アレッサンドロ・コスタクルタ | 663 | |
| 4 | ジャンニ・リベラ | 658 | |
| 5 | マウロ・タソッティ | 583 | |
| 6 | アンジェロ・アンキレッティ | 418 | |
| 7 | チェーザレ・マルディーニ | 412 | |
| 8 | デメトリオ・アルベルティーニ | 406 | |
| 9 | ニルス・リードホルム | 394 | |
| 10 | アルベリゴ・エヴァーニ | 393 |
最多得点選手
| 順位 | 選手 | 現役期間 | # ゴール |
|---|---|---|---|
| 1 | グンナー・ノルダール | 221 | |
| 2 | アンドリー・シェフチェンコ | 173 | |
| 3 | ジャンニ・リベラ | 164 | |
| 4 | ジョゼ・アルタフィーニ | 161 | |
| 5 | アルド・ボッフィ | 136 | |
| 6 | マルコ・ファン・バステン | 124 | |
| 7 | ジュゼッペ・サンタゴスティーノ | 106 | |
| 8 | ピエリーノ・プラティ | 102 | |
| 9 | Louis Van Hege | 98 | |
| 10 | アルベルティーノ・ビゴン | 90 |
チームタイトル
国内リーグタイトル
- セリエA
- 1901, 1906, 1907, 1950, 1951, 1955, 1957, 1959, 1962, 1967, 1979, 1988, 1992, 1993, 1994, 1995, 1996, 1999, 2004
- セリエB
- 1980-81, 1982-83
- コッパ・イタリア
- 1967, 1972, 1973, 1977, 2003
- イタリア・スーパーカップ
- 1988, 1992, 1993, 1994, 2004
国際タイトル
- UEFAチャンピオンズリーグ
- 1962, 1968, 1969, 1989, 1990, 1994, 2003, 2007
- UEFAスーパーカップ
- 1989, 1990, 2003, 2007
- UEFAカップウィナーズカップ
- 1968, 1973
- ラテン・カップ
- 1951, 1956
- ミトローパ・カップ
- 1982
- FIFAクラブワールドカップ
- 2007
- インターコンチネンタル・カップ
- 1969, 1989, 1990
組織
現在はカルロ・アンチェロッティが監督を務めている。歴代監督にはチェーザレ・マルディーニ、ファビオ・カペッロ、ネレオ・ロッコ、アリゴ・サッキなどが名を連ねる。ACミラン初代の会長は、「ミラン・クリケット・アンド・フットボール・クラブ」の創設者であるアルフレッド・エドワーズ。1986年以降はイタリアの政治家、シルヴィオ・ベルルスコーニが会長を務めていたが、2008年5月9日、首相就任に伴い、会長職を退任した。
ユニフォーム
ACミランのクラブカラーは赤と黒。赤は燃える炎、黒は対戦相手に対する闘争心を表す。ホームユニフォームは赤と黒の縦じま。
スタジアム
ACミランのホームスタジアムは、ミラノにあるスタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ。サン・シーロの通称で知られている。ACミランは同スタジアムをライバルチームのインテルと共用している。Pietri Pirelliによる投資を受け、総工費500万リラをかけて1926年に完成したサッカー専用スタジアム。大きな屋根と急な階段、ピッチに近い観客席が特徴。こけら落としは1926年のACミランvsインテル戦。35000人の観客が見守る中、インテルが6-3でACミランを下した。当初はACミラン単独のホームスタジアムとなる予定だったが、完成後まもなく、インテルからホームスタジアムとしての使用依頼が出たため、2チームが共用することとなった。1957年には照明灯が完備されてナイトゲームが可能となり、1980年には電光掲示板が設置された。
1980年、インテルとACミランの両チームに所属した名選手ジュゼッペ・メアッツァが亡くなったことを受け、スタジアムの正式名称が旧称の「サン・シーロ」から現在の「ジュゼッペ・メアッツァ」に変更された。しかし、ジュゼッペ・メアッツァはキャリアの大半をインテルで過ごしていたため、ACミランのサポーターはいまだにサン・シーロと呼ぶ傾向が強い。
サン・シーロはこれまでにチャンピオンズリーグやユーロ、1990年のW杯など様々な国際大会の舞台として使用されてきている。W杯開催前には6000万ユーロをかけた大規模な改築工事が行われUEFA公認の5つ星スタジアムとなった。現在の収容人数は82995人で、敷地内にはACミランとインテルの博物館が併設されており、ツアーも催行されている。
スポンサー
- アディダス http://www.adidas.com/us/shared/home.asp
- スカイTV http://www.sky.it/
- ドルチェ&ガッバーナ http://www.dolcegabbana.it/
- BWIN https://www.bwin.it/sportsbook.aspx?pid=907&zoneid=17783
外部リンク
- http://www.acmilan.com/
- http://www.lega-calcio.it/
- http://www.sansiro.net/
- http://www.provincia.milano.it/
参照サイト
- http://www.acmilan-online.com/jobs.php
- http://www.milanmania.com/
- http://soccernet.espn.go.com/origin?cameFrom=team%3Fid%3D103
- http://www.forzamilan.com/
- http://www.acmilan.net/community/index.php?&newlang=eng
- http://msn.foxsports.com/foxsoccer/seriea
- http://www.footballderbies.com/honours/index.php?id=30
- http://news.bbc.co.uk/2/hi/euro2000/teams/italy/771488.stm
- http://www.cnn.com/2003/WORLD/europe/11/11/eu.italy/index.html?iref=newssearch
- http://www.gazzetta.it/Calcio/Altro_Calcio/Primo_Piano/2006/05_Maggio/26/archivio25.shtml

